前回、リーダー論を述べましたが、本来のリーダーは周りからこのひとをリーダーにしたいというみんなの思いがあって、自然発生的に選ばれるのが理想なのですが、現在の人間社会における様々な組織において、そのようになっているのはレアケースです。もちろん、組織自体が大き過ぎて、物理的にそのようなことが不可能になっているとも言えます。その為、政治家であれば、選挙があり、企業であれば、様々な人事ルールがあるのでしょう。国民が直接参加する選挙は、以前お話したように、候補者の実力や本音などが見えない状態で選択するという問題があり、政党のトップ(現在であれば自民党の総裁は総理となるのですが)の選挙は、実質、派閥の幹部や長老などの密室の動きに依存していることが多いということがあります。企業のトップもその企業の事情によりいろいろとあるでしょうが、不透明な場合がほとんどだと思います。
リーダーとは、その属する組織全体の目標に対して、組織全体の総合力を結集し、最善の方策を導き出し、実行し、成果を上げつつ、次代の人材を育て、後継者を見つけることだと思います。しかし、現実には、リーダーになることにより名誉、権力、富、特権などを得ることというように、個人の目標が優先される傾向があります。特に平時ではリーダーの真の資質が表面化することがあまり無いように思いますので、個人の目標を優先するご遠慮いただきたいリーダーが炙り出され難いのです。しかし、今回のコロナ禍のような非常時には、リーダーの資質、考えが明らかになります。何を大切にしているのか、誰の方を向いているのかが良くわかるのです。皆さんも非常時での行動で、あなたの関係する組織のリーダーや幹部の真実を睨んで見てください。
政治や企業の中での、覇権争いを見ていますと、猿山のボスの闘争に似ているなあと思います。猿は人間の遺伝子とほとんど同じですので、似ていて当然なのでしょうが、別の言い方をすれば、猿からさほど進歩していないとも言えそうです。猿から進化した人間は、本来、知性というものを有し、己の欲望ではなく、グループ全体の利益を最大限にしようと考えるはずですが、ある程度平穏なときには、ボス同志の欲望(支配欲など)のぶつかり合いとなるのです。そうなると、本来の目的など忘れ去られて、敵対する相手をどう潰すかということが第一になるのです。猿なら腕力と少しの猿知恵を駆使して闘いは繰り広げられるのですが、みんなの幸せなんかどこかへ行ってしまうのです。今回の自民党の総裁選挙をそのような目で見ると、益々、猿山のボス争いに見えてきますね。同じようなことが、役所、大学、病院、企業、スポーツや文化の団体などでもよく見かけると思いませんか。先生とか、偉いひととか言われている人達が私欲に走っているのです。自身でこのことに気がつけば、何と馬鹿げたことをしていると気が付くのだと思うのですが、そのように客観的に自身を見られなくなるほど、権力欲、名誉欲、支配欲などは魅惑的なものなのでしょうね。WEタイプのひとは往々にして、この媚薬の虜になりやすい傾向がありますので、できればリーダーは私欲より他人のことを慮れるAEタイプの人に任せたいと強く思うのですが、これが難しいですね。
理想の社会では、AEタイプをピックアップして登用するシステムを作って、運用していくはずです。ポイントは、このようなシステムをどう作るかということで、これが最も重要な政治の役割だと思います。政治家同士で、権力闘争しているより、力を合わせてリーダー、幹部の新しい登用システムを作り上げることが、まずは変革の第一歩なのです。しかし、選挙改革などと叫んで国会で審議されても、残念ながら、現状は、己の党、派閥の議員が少しでも多く選択されるようなシステム作りにしか興味が無いのです。課題に上るのは、選挙区、定数、一票の格差是正とかですが、それすら本質的な進展は見られません。大体、自分に関わる報酬などの待遇や、選挙制度などを自分達で決めることに無理があるのです。これらを公平に見られる第三者が決めるべきだと強く思います。