前回のブログで、「自分に害をなす全く評価にも値しない存在に自分の人生を台無しにされたくない」と言うおもいを持てば、前向きに進むことが出来ると言うことを述べました。
 私は、これまで生きて来た中で、非常に辛く苦しくどうにもならなさそうなときに、自分を奮い立たせる方法を三つ実践して来ました。そのひとつが、前述した「あいつら(自分に害を為す対象)ごときに自分の人生を壊されてたまるか」と言うおもいを強く持つことでした。もしあいつらをやっつけたとしても、一時の勝利感を感じるかはしれませんが、そのことにより、自分自身もある意味罪を背負うことになれば、その後の人生は不幸が待っているものです。それなら、前向きに正当に進んで行こうと言う思いを強くして頑張ることができました。

 二番目は、「どんな苦境も、戦争で殺し合いをするのに比べればどれだけ恵まれているのか」とおもうことです。私は小学生くらいの昔から、太平洋戦争などの悲惨な話を多くのノンフィクション、小説、映画などから学んで来ました。その悲惨さは尋常非ざること甚だしい限りでした。戦争という恐ろしい力の前では、正義や愛や理屈や道徳など全く通用しない理不尽極まりない世界だと言う事が痛い程理解できました。私の生きて来ました戦後の日本は、その時代に比べればあまりにも平和であって、そのような平和を享受できている立場のものが、自分では非常に辛く悲しい出来事であったとしても、まだまだ自らの努力の余地が残されていると思えたのでした。それで、戦争よりはましだと、自分自身を鼓舞して、負けるものかと頑張ることが出来ました。

 三番目は、「辛く苦しいとき、踏ん張らないといけないときに、瞼の裏に自分の愛するひとの姿を浮かべ、心の中でそのひとの名前を何度も叫ぶ」と言うことです。親兄弟、恋人、配偶者、友達、子供など愛するひとは誰でもいいのです。自分がもっとも信頼でき、そのひとの為だったらどんな辛いことも我慢できると言うようなひとの存在が重要なのです。そういうひとを具体的にイメージできるということも幸福につながる道だからです。そういう関係があれば、何故か、自分だけの為と言うよりも力が出るのです。もし今はそのようなひとが浮かばないと言う人は、そのようなひとを作ることも幸福につながる道であり、これからの人生の目的に出来ると思います。それで前向きに努力できるのです。

 

投稿者

弱虫語り部

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