明日は終戦記念日です。中華事変から始まり、太平洋戦争へと拡大したあまりにも多くの犠牲者を生んだ悲惨な戦争の終結した日です。テレビでも、この戦争に関わる番組がいろいろと放送されていましたが、特に印象に残ったのは、ガダルカナル島の戦いでほぼ全滅した一木支隊のドキュメンタリーでした。その敗因については、いろいろな事柄が錯綜していたと思われますが、敵の動向についての情報の間違いや陸軍と海軍の連携の悪さなどで、現地の兵隊が翻弄されたことが伺われます。特に、参謀本部での陸海軍の作戦会議における議論は現地で実際に戦っている兵隊を単なる駒としか思わない生きた人間の命を軽視するやりとりに大きなショックを受けました。
多くの人間の想像力の無さに愕然とします。机上の空論とはよく言ったもので、自分達は戦地から遠く離れて安全な場所で、陸軍、海軍各々の思惑、面子を重視して、実際に血を流している人達の事を自分のこととして想像できない手前勝手な議論に終始していました。
いつも述べていますように、地球に住むほとんどのひとは戦争など望んでいません。戦争は一部の権力や富を持つものとその取り巻きが、自分達の権力と富を維持したり拡大させたいが為に起こすものです。彼らは自分自身が戦いで血を流すことなど考えませんし、多くの人々が死んだり、傷ついたりすることなどに思いをはせることなどしないのでしょう。
日本人は、先の戦争で、当初安全と思われていた場所に居た権力者、財閥までも、本土への空襲や原爆投下で、やっと戦争の悲惨さに気がついたのでした。自分の尻に火がついて、戦争の恐ろしさを認識したのでした。全国民が等しく戦火に包まれてはじめて、全国民の総意としての平和を強く支持するようになったのです。そのお蔭で、我々は、平和な時代を長く続けることが出来ました。
しかし、世界のあちこちでは、未だに自分の野心、欲望の為に、国民を犠牲にしてでも戦争をしようと考える権力層が多数存在するのです。彼らは、太平洋戦争初期の日本軍のように、安全なところから、国民の生死など気にもかけずに、戦争を机上で議論し、ゲームのように駒を進めていくのです。自分の尻に火がつくまでは、戦争の悲惨さなど気にも留めないで。この愚かさにどうして気が付かないのか、人間はおのれの欲望に目を曇らされて、冷静な想像力が働かなくなるものなのでしょうか。
本当の幸せは、地球に住む多くのひとたちが平穏に暮らせる上にしか成り立たないということを早く気付いて欲しいです。人間が本来は持っているはずの想像力を駆使して。