前回のブログで、旧日本軍の作戦本部でのやりとりが、現地で戦う兵隊の生身の命を全く感じず、自分達の面子にこだわり、将棋の駒を動かすように、無謀に前進させたり、援護など考えずに捨てたりと、無性に腹が立つ話を紹介しました。結局、多くの人間は、自己中心的にしか物事を見ることができないのでしょうか。
このような構図は、現代の社会でもよく見られます。例えば、コロナ禍で、最前線で奮闘する医療従事者や行動規制により売上が大幅に減少した飲食関係、観光関係に従事する人々の苦労も分からず、政府や官僚幹部が、いろいろな策を打ち出し、それにより、みんなが翻弄させられる姿や、企業の中で、経営者達が生産現場や営業現場で働く人達の実情を理解せず、無理難題の机上の論理を振り回している様など、あちこちで見られる風景かもしれません。政治家も企業の幹部もいずれも自身は生活に困っている訳でも無く、微塵も切実さを感じず、言いたい放題、やりたい放題で、きちんと仕事をしている風だけ装っているのです。最も効果的な策を生み出すには、自分自身から痛みを共有することから始めるべきだと思います。そうでなければ、まるで高見の火事見物のように、自分達は安全な所から見下ろすばかりで、都合悪くなれば、下の人々を犠牲にするのも平気なのです。
自分中心、自己本位が人間のサガであるとは言え、人の上に立つものには、利他的、自己犠牲的な行動が必要なのだと思います。そのような気質の無いひとが、政治家や経営者になるので、その下にいる人々はたまったものではありません。
私が提唱する人間のタイプ分類に触れ考えてみますと、AEタイプは利他的なひと、WEタイプは自己本位だが積極的には悪いことが出来ないひと、DEタイプも自己中心的だが自分の為には積極的に他人を陥れたり、害したりできるひととも定義出来ます。という事ですので、ひとの上に立つひとは、AEタイプのひとでないといけないのですが、現実はWEタイプ、DEタイプの人が多数その地位にいるので、社会も企業も住みやすい場所にはなっていないのです。AEタイプのひとをリーダーに選ぶ為の私の考えは過去のプログ(36.トップの選び方、72.リーダーを独裁者にさせない社会を)などに述べていますので、宜しければ、振り返ってください。