伊藤忠商事の元社長で民間から初の中国大使にもなられた丹羽宇一郎氏の著書「生き方の哲学」から抜粋されたネット記事を見ました。その中で、お金と幸福の関係に触れられた部分がありました。
収入額と幸福度の関係の調査は各国でいろいろとありますが、幸福度は、年収500万円~1000万円で頭打ちになると言う結果が多いようです。これが示していますのは、暮らしがかつかつで生活しているときは、そこから収入が増えていくことに喜びを感じていきますが、ある程度豊かになったら、そこから収入が増えてもそれほど幸福度が上がらないということのようです。ひとはその暮らしを当たり前と思ってしまうと、ひとが羨むほどの収入があっても、それに合わせた生活に浸り、そのことを幸福と感じられなくなるようです。お金の価値は生活と連動して変わって行くものだそうです。だから、年収200万円の人が年収1億円の人に「1億円もあるなら、1000万円くらい貧乏人に寄付したらどうです。」と言われても、年収1億円の人は、その稼ぎに対応した暮らしをしていて、年収200万円の人が想像するような余裕が無いということなのだそうです。なんとなく人間の欲求の本質を言っているようで、それが事実だとも理解出来ますが、私の考えている幸福論から言いますと、それこそ、人間が幸福になれない根本原因だと思います。
個人主義であれば、収入は高い方がいいに決まっていますし、それに見合ったレベルで豪華な暮らしをエンジョイすることがその人個人の幸せなのでしょう。しかし、そのような個人主義の傍らには、貧困に喘いでいる多くの人達が存在し、その結果、略奪などの犯罪も増えて行き、治安も低下して、安心な暮らしに黄信号が灯ることになります。それならば、安全な場所を確保したり、セキュリティをお金で買えば、富裕層だけは安全を確保できるからいいのではと思われるかもしれません。短期的にはそうかもしれません。しかし、貧困が蔓延し、治安が低下していけば、そこをついて、民衆を扇動する政治家、指導者と言うものが必ず生まれて来ます。そうなると彼らは権力、富を確保する為に、強権的な統治をしたり、戦争をして、他国から富を奪おうとします。そのような展開になって来ますと、少しくらい裕福であっても、悲惨な状況に巻き込まれることを避けることはできなくなって来るのです。この状態まで行き着きますと、それを喜んでいるのは、権力者とその取り巻き達だけになるのです。
この地球、世界で、出来るだけ多くの人達がある程度の水準で暮らしを成り立たせることが出来る環境だけが、多くのひとが安心して暮らせる平和な社会を実現できるのです。
このことを多くのひとが理解し、自分だけ高収入で、高レベルの生活をすればいいと言うような短絡的な個人主義を捨て、世界全体が調和のとれるような富の配分が必要であることを認めなければなりません。これが私の主張する「新ハルモニア主義」の目指す世界です。しかし、それは、共産主義、社会主義とは違います。民主主義、自由主義をベースにし、個人の努力により得られる富の多寡の違いは認めますが、行き過ぎた貧富の格差は、社会システム上で排除できるようにする考え方なのです。これについては、このブログの1.~15.を読んでいたたげれば理解していただけれると思います。