宮台東京都立大学教授が何者かに切りつけられて重傷を負った事件で、犯人の映像が公開されました。事件後二週間を経過しても犯人の有力な手掛かりが無い状況での今回の公開であったと思います。このような状態ですから、犯行の背景ははっきりしていませんが、宮台教授の言動に対する反抗説が大勢を占めているようです。

 もし、そうであれば許されない蛮行であると言わざるを得ません。言論には言論で対抗することが基本なのですから。今後の捜査の進展を待ちたいと思います。

 しかし、世界の中には、言論を力で捻じ伏せることがまかり通る国が未だに多数存在しています。代表的なのは、中国とロシアです。このような国では、政権が言論統制をしているのですから根が深いのです。権力を持っているからと言って、何でも正しい行動をするかと言えば、そうではありません。特に絶対的権力者が君臨するこれらの国では、権力者個人の意見で事が進んでしまいます。いつも申し上げますように、絶対に間違いをしない人間などこの世に存在しないのです。それは権力者であってもそうです。しかし、権力者のどんな考えでも、それに逆らうような意見はすべて排除されるのです。日本のような民主主義国家では、言論妨害は犯罪になりますが、それらの国では、国家の政策となってしまうのです。さすがに反対主義者を暗殺したりするのは、国際的な非難を恐れて、水面下で行われるようですが、暴力も含む国家的な圧力で弾圧するのは平然と行われているのです。

 一方、中国全土で一般市民が政府のゼロコロナ政策に異を唱えて立ち上がったニュースは衝撃でした。彼らは大きな危険性もあるにも関わらず立ち上がったのです。それほどまでに耐えられなかったのだと思います。この波があまりに大きなうねりとなりそうだったので、中国政府は一転してゼロコロナ政策の緩和を実施しました。特にそう言う判断になったのは、ゼロコロナ政策の反対がさらに言論の自由を求める運動につながって行くことを恐れたのだと思います。

 しかし、このような状況でも、中国政府はゼロコロナ政策の異常なまでの活動と継続は間違っていたとは認めませんでした。オミクロン株が主体となり、重症化率も小さくなって、状況が変化したから方針転換したのだと主張しました。習近平国家主席が先導したゼロコロナ政策を行き過ぎたと反省する訳はありません。絶対権力者は絶対正しいと言う姿勢を崩さなかったのです。残念ながら、政権の中枢には習近平国家主席に意見を言う人はいなくなっているようです。これが独裁と言うものなのです。

 今回の中国での一連の騒動を見ていますと、独裁国家であろうと、多数の国民が異を唱える行動に出れば、国の政策を動かすことが出来ると言う微かな希望を見せてくれました。中国政府のずる賢い対応によって、その火は燃え上がることなく消されてしまいましたが、ゼロコロナ政策の緩和という成果だけは勝ち取ることが出来たのでした。

投稿者

弱虫語り部

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