昨年も新型コロナウィルスに翻弄された一年でしたね。ほとんどの行動規制が解除された年ではありましたが、コロナ禍前に戻ったとは言えませんね。もう戻れないのかと、ふと不安になる年でもありました。
これまでのブログを振り返りますと、この世界での人間の営みが、まだまだ自分本位で進んでいることへの、警鐘を鳴らすことが多かったと思います。人間、皆、自分が可愛いものですが、そうだからと言って、他人に悪影響を与えてでも、自分の欲に従って進んでいけば、この世に争いは絶えませんし、悲劇も増幅されるばかりです。そのような状態の世界では、地道に努力を積み重ねても、無慈悲な力によって、理不尽な思いに絶望させられる人々が多数生み出されるものです。自由とは、自分の願望、希望を叶えることが出来る権利ではありますが、一方、その為には、他人の権利も尊重することが大前提です。つまり、自分の願望を達成する為に、他人を犠牲にしてはいけないのです。この地球にこれだけ多くの人が存在している以上、自分の人権を守るには、他人の人権も守ることが必要なのです。自由とは、何でもして良いという意味では無く、人類に共通したルールを遵守した上での個人の自由が認められているのです。この大原則を理解していない人がまだ多く存在しています。確かに、生物の世界では、弱肉強食の原則が存在しています。人類も太古から、生きる為、喰う為に、他の生物を犠牲にして来ましたし、そのような食物の奪い合い、人間同士間での略奪を繰り返して来た歴史があります。それはまさしく力の強いものが勝つという歴史であり、その力を集団を形成して高めることで、部族や民族、さらに国というような共同体を形成することで、少しでも強い権力を得ることに邁進し、その共同体、集合体の中でも、少しでも高い地位を得るための権力闘争も同時に起こって来ました。まさに、生きて行くことは、殺し合いに生き残ることでもありました。こんな状態で、本当に人は幸せになれるのでしょうか。一握りの制圧者だけが自分の願望を叶えられる暗黒の世界だったのです。そのような状態に耐えられなかった多くの人間が、知恵を絞って、長く多くの闘争の結果、作り上げられたのが法律で統治する法治国家であり、多くの民衆の意志で社会のルール、政治を決めて行く民主主義というものだったのです。
人類の長い歴史を考えれば、まだこのような近代社会は出来たばかりと言ってもいいでしょう。未だ、個人の人権が守られている自由な民主主義の国家はまだまだ少ない現実があります。
権力とは恐ろしいもので、権力者が他人の生死を決めることも可能です。このような世界で、個人が幸せを求めて生きていける訳はありません。人民は常に権力者、独裁者の顔色をうかがい、怯えて生きて行かなければならないのです。
もちろん、日本はそこまでの非人権国家ではありません。しかし、少し気を許せば、権力を奪い、国民から富を搾取し、自分や取り巻きだけで多くの富や権力を手にしようとする魔の手が存在しています。残念なことに、今の大部分の政治家はそのような野心を隠して、多くの国民が生活に不安を帯びていても、自分達だけは優雅に暮らそうと、見せかけだけの偽善者が多いように思えてなりません。実は彼らも本物の幸せが見えていなのです。一部の人だけが幸せになれるような世界はありません。短期的にはあるかもしれませんが、いずれは、そのような状態が続けば、大多数の人々が貧困に窮し、権力者、富裕層が搾取できる民衆の富が無くなってしまうのです。さらに、下手をすれば、権力者を引きずり下ろすような革命が起こるものです。つまり、永続的な平和で自由な社会を実現する為には、ほとんどの人々がある程度豊かな生活をするような状態を作ることが必要なのです。それが本来求められるべき政治です。このような歴史から学べる大原則を理解しないといけません。もし、自分が幸せになりたいのなら、みんなと共に幸せになるような道を探るしかないのです。