前回のブログで、支配層が被支配層の命を軽視していると言う話をしました。今回は、このことについて、もう少し考えたいと思います。

 ① DEタイプが支配層であれば、もちろん、彼らは自分自身の欲望の為であるならば、他人の命など全く気にかけたりしません。
 ②単純でないのは、支配層がWEタイプの場合です。WEタイプの行動を決めるのは、世論です。大勢が戦争を支持することが第一条件です。そこが確保されていれば、全て愛国心と言う御旗を掲げて、自分の行動を正当化し、その大義の名目で前線の兵士の命を虫けらのように扱うことに抵抗が無くなるのだと思います。つまり、自分が特別なレベルにあり、別格の存在であると錯覚してしまうのです。だから、自分達、支配層、エリート層の命こそ大事だが、非支配層は別のレベルの存在であるので、その命など気にかからなくなるのです。この錯覚こそ、本来弱い存在であるはずのWE層を冷徹な心を持った人間に変貌させてしまうのです。

 WE層が大部分を占めるこの世界ですので、WE層がどのような振る舞いをするのかで、世界の平和、秩序、弱者への思いやりと言った人間を真に幸せにすることが出来る精神が世界を包み込めるのか、そうでなくなるのかが決まるのです。それには、世の中の趨勢がどう向いているのかが重要で、例えば、軍国主義が中心となれば、好戦的になりますし、例えば、独裁者を支持する社会になれば独裁者を信じてしまうように向かうのです。

 このような流れを堰き止め、人間同士が、認め合い、助け合い、尊重し合うような世界にする為には、まず教育が非常に重要なのです。逆に支配者が意図的に教育内容を歪めてしまえば、コントロールし易い国民、民衆を作り上げることができるのです。WEタイプが強く影響を受けるのは家庭と学校での教育内容です。幼い頃からの開かれた知識や偏らない物事の考え方などを自然に学ぶことが出来るような教育システムが必要なのです。それなのに、今の日本の教育現場では、未だに受験競争に重きをおかれ、いい大学に入り、いい職業に就くことが優先されています。いかに裕福になるのか、いかに特権階級になるのかを志向していると言っていいかもしれません。しかし、残念ながら、それは幸せになることと同一ではありません。

 競争は悪いことではありません。人間が進歩するには非常に大切な要素です。しかし、もうひとつの要素である、人類が助け合って難局を乗り越え、共に歩むという精神を忘れてはいけないのです。受験という歪な競争によって作られた個人主義がWEタイプに間違ったエリート意識とその逆の敗北感を植え付けて来ているのも、人命を軽視する人間を生んでいると思います。

投稿者

弱虫語り部

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