このブログを始めて一年半弱になります。そして、今日で300回目の投稿になります。
少しでも多くの人が幸せに暮らせることを願い、今の社会をどう変革していけば良いか、自分なりの考え、つまり新ハルモニア主義と呼んでいます考え方を初期に述べさせていただきました。その後からは、最近、起こった出来事を新ハルモニア主義的に解釈するとどうなるのかと言う内容を続けて来ました。
その内容を振り返りますと、ほとんどが社会の歪を作っています政治家、官僚、資本家などに対する抗議ばかりが多く目立ちます。大多数の庶民にとって、暮らし難い社会がいつまでも続いていますが、歴史的に眺めても、一部の権力者や超富裕層がその権益を守る為に、庶民の命、生活を蔑ろにして来たツケが積もり積もって今の状況が出来上がったと思えます。
一部の既得権益にしがみつく層が、権力を握っていては、この社会を変えることは中々出来ないと思います。日本にはひとまず民主主義が定着していますので、我々民衆の力は選挙に活かされるべきなのです。それなのに、多くの若者は、政治なんて誰がやっても同じだと諦めている人が多いのです。それこそ、権力者の思う壺です。
私が望むのは、一人一人が真面目に生きていけば、ある程度豊かな生活を送ることが出来る社会です。もちろん、努力の程度によって、得られるものにある程度の差がつくことも認めたいと思っていますが、現在のように、極端な差がつくようにはしない方がいいと思っています。その為に、まずは生まれついたときに出来るだけ公平なチャンスが与えられることが重要です。そして、頑張れば少しでも多くのものが得られるような社会システムです。但し、極端な富の偏在は認めないで、競争に敗れたとしても、きちんと生きて行ける社会共生的な仕組みが一方では必要です。競争の結果は常に運が左右するのも知っているからです。いくら努力しても負けることもあります。そのような敗者も幸せに暮らせる権利を有していると思いますし、そのような関係が、お互いの人生を尊重し、お互い助け合っていくことが平和と平穏が包み込んでくれる世界を実現するのです。
この世界に争いと恐怖をもたらすのは、他人から搾取することで、自分の欲望を叶えようとする人間なのです。そのような一部の人間が権力を持てないようにすることも非常に重要です。その為には、独裁を許さない民主主義的な法治システムとそれを維持出来るような高い民度が必要なのです。その民度は公平公正な観点から作られた教育システムがなくては実現できないでしょう。
このような観点で、政治、教育、経済の改革を考えたのが、新ハルモニア主義です。是非、1.から15.の投稿に目を通してください。もう少し私の主張が理解いただけるのではと思っています。