歌舞伎役者の市川猿之助氏が自殺未遂で発見されました。同居中の両親は死亡しており、事件の詳細は未だ不明のままです。事件当日の週刊誌の報道が何らかの関係があるのではないかと取り沙汰されています。この報道では、猿之助氏が芝居の縁者、スタッフなどにセクハラやパワハラを働いたことが報じられていました。つい最近、故ジャニー喜多川氏のジャニーズに属する少年達への性加害が問題になっていたところでした。共通しているのは、どちらもその組織の絶対的な権力者であり、その組織に属する人達の生殺与奪の権限を持っていたと言うことです。
私は、男女の関係こそが正しく、それ以外は邪道であるとは思っていません。生まれつき、同性にしか興味をもてない人がいるのは事実ですから、それは否定できないと思っています。しかし、異性間にせよ、同性間にせよ、恋愛と言うものは両者の想いが通じてこそ成立するものだと思います。一方的に力で、相手の感情を無視して、関係を持つと言うことは許されることではないと思います。
時には、恋愛や結婚なんて、打算から生まれるものだ、ギブアンドテイクが成り立てばそれでいいのだと言う人がいますが、それを認めますと、今回のことは、片方は、性的欲求を満たし、もう片方はその代償として、仕事をもらっているからいいのではないかとなってしまいます。現代のハラスメントで問題としているのは、一方が力、権力を持っていて、それを行使することで、相手を征服することなのです。対等な立場で、ギブアンドテイクが成り立つのとは大きく異なると思うのです。
どのような世界でも、独裁的な権力を持つものは、往々にして自分の権力に酔いしれ、回りの人達が、自分の言う事にひれ伏し、従うことに慣れて来ますと、自分は別格の人間であり、自分の思う事、言う事が全て正しいなどと勘違いをしてしまう傾向があります。さらに悪いことには、それを指摘するような者がいれば排除してしまい、最後には、何でもイエスと言う人間ばかりが取り囲むようになってしまい、さらに自分がどれだけ優れているか、自分に使えている者達はつまらない人間で、自分が指示をしてやらないと満足に動くことも出来ないとまで思ってしまうステージまで到達してしまうのです。独裁者が独善的な主張を繰り返すのはそう言うことなのです。
今回の芸能界の二つのケースはそこまで大きな権力者ではありませんが、狭い社会の中では独裁者と言って良いと思いますし、根は一緒なのです。ある面、確かに優れているのですが、そうだからと言って、全てが優秀であり全て正しい判断が出来るのとは違います。
いつも繰り返していますように、完全な人間などいません。どれだけ優秀な人でも、弱いところ、不得意なところは絶対あります。この原点を忘れてはいけません。リーダーであっても、常に自分が間違ってはいないかと注意し、それを気付いて指摘してくれる人を手元に置いておかなければなりません。そして耳障りが悪いことであっても、冷静に耳をかすだけの許容力を持っていなければなりません。
今の世界にいる大なり小なり独裁的な地位にいる人は、このことを忘れてはいけません。忘れてしまうと、裸の王様になってしまうのです。そして、多くの人達に災いをもたらしていても、いいことをしていると勘違いし続けているのです。