議員と呼ばれる、我々国民の生活に大きな影響がある人を我々は確信を持って選択出来ているでしょうか。

 前回のブログで、国民、市民の為に、自分を犠牲にしてでも、尽くそうとの意志を持っている人が、選挙に立候補することすら難しいと述べました。それは今の選挙制度に大きく関わっていることを説明し、変革すべきと主張しました。そして、今の選挙の問題は、立候補者の真意を判断する材料が無いことにもあります。街のあちこちに貼られたポスターを見るだけで、選挙カーからの名前の連呼を聞くだけで、ポストに入っているチラシを読むだけで、知人から頼まれるだけで、会社や労働組合が推薦しているからだけで、党の名前だけで、本当に確信を持って誰に投票するか判断出来ますか。

 例えば、企業は、優秀な人材を採用しようと、厳しい選抜試験を実施していますし、専門的な知識、能力が必要な職業には、それを判断する為に、厳しい資格試験があります。それらに比べ、議員は、一方的な公約の発信だけしか必要ありません。その内容が美辞麗句が並べられ、実現出来なくとも、後で責められることもありません。選挙期間中、出来もしないことを並び立てたとしても、当選すれば、議員の資格を剥奪されることも無いのです。

 世の中の職業のほとんどは、厳しい選別が常識でありますが、議員だけは、議員としての必要な能力より、票集め、知名度で決まってしまうのです。ここに、国民、市民の為よりも自分の欲望の為に議員になろうとする人間を中々議員から排除出来ない原因があるのです。

 これはそのような自分の為に議員になる人にとって、本当に好都合なのです。だから、そうして議員に成った人は、自分にとり非常に都合のいいこの選挙制度を守ろうとするのです。流石に、日本のリーダーを選択するときには、厳しい論戦が行われますが、残念ながら、我々一般庶民がリーダーである首相、内閣総理大臣を直接選ぶことが出来ません。厳しい論戦とは言いましたが、決めるのは、党の権力を持っている人達でしかないのです。それ以外の人は、国会議員であろうが、特に政治に長けている必要もなく、当選し易い、地盤、看板、鞄を持っていればいいのです。そして、党の権力者に従順に従えばそれでいいのです。もちろん、彼らにも権力者達の権力闘争にどう対応していくかと言う処世術は必要ですが、そんなもの、国民の為になるものではありません。

 日本の政治の世界は、このような権力者のやりたい放題の構図で成り立っているのです。だからこそ、その根底にある選挙制度、システムを一般庶民の為の政治をしようとする人を選別出来るように変革しないといけないのです。

 議員立候補者に厳しい選別プロセスを課せば、多くの欺瞞に満ちた候補者がボロを出すでしょう。それを見て、我々有権者が誰に投票するか判断出来るようにすることが、日本の政治をまともにする為に、今一番、求められていることだと思います。

投稿者

弱虫語り部

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