最近、親ガチャや、生まれた時代が悪かったなど、若者世代の嘆きが私の周りやSNSなどでよく聞こえてきます。
自分が生まれて来た家庭の環境で、いろいろと不平等があり、それがその子の人生の道を決めてしまうと言うのです。確かに、統計的に、一流大学に入学した者の家庭は富裕層が多いことや、政治家、医師などかなりの職業で、二代目、三代目などの世襲が横行していることを見ますと、一見、生まれた環境で、その後の人生が決まっているようにも思えてしまいます。
また、戦後まもなく生まれた世代は高度成長期を経験し、年功序列、終身雇用で、多くの日本人が普通に生きているだけで、ある程度安定な生活が守られていたことや、年金など公的制度でも恵まれた状態を享受出来ているのに比べ、昭和後半以降に生まれた世代は、就職も氷河期と言われて苦労するし、正社員につけない人も多く存在し、例え正社員に就けたとしても、リストラにあったり、転職を余儀なくされたりと、厳しい環境を生きていかなければならないと嘆いているようなのです。それで、現在の高齢者世代をうまく逃げ切れたと妬みを込めて、そのように称しているのでしょう。
問題なのは、そうだからと言って、自分の生き方、人生を、生まれた家や、生まれた時代のせいにして、上手くいかないのは仕方が無い、自分のせいではないと投げやりになることです。
人間は、悪いことはひとのせいにしたがる傾向があります。しかし、そうすることで、自分が努力する余地があるのに、それを放棄してしまい、幸せな人生を諦めてしまうことが非常に残念なことなのです。
見る方向を逆にすれば違った景色が見えます。高度成長期を経験した世代から見ますと、今の若者の生活はかなり裕福だと思えます。戦後しばらくは、例えば、自分専用の自転車を持っている子供はほとんどいませんでした、自家用車、子供部屋など持てる人はほんの一握りのかなりのお金持ちしかありませんでした。それに比べ、現在では、一部の貧困家庭を除き、多くの子供は自分専用の自転車や部屋も持っています、マイカーの無い家もほとんどありません。高価な玩具やゲーム機も持っています。スマホを持っている子もいっぱいいます。彼らは、昔の子供から見れば、かなり裕福な子供時代を過しているのです。それにも関わらず、さらにその上の裕福な家庭に比べ自分はどんなに不幸な家庭に生まれてしまったと嘆いているのです。この嘆きは、社会に出れば、更にエスカレートします。コネも無い、金も無いと。さらに時代が悪いと、自分の状況をそれらのせいにしてしまいます。
本当にそうでしょうか。幸せになれない人の特徴は、すぐに自分より恵まれている環境にいる人と比べてしまいます。そして、いろいろな事を他人のせいにしてしまいます。
幸せな人生を築いていける人は、自分自身が努力すればやれそうな範囲で目標を設定し、努力し、チャレンジを繰り返します。逆に、社会のせい、親のせいにして、努力することを放棄するひとには幸せを掴むことは難しいのです。
大リーガーの大谷選手は、恵まれた体格、身体能力に目が行きますが、実は、彼が学生時代に作った目標シートを指標に、継続的に努力していることで、今の彼があることが非常に重要なのです。確かに、類まれな才能があったから、大リーガーでの成功と言う高い目標もクリアしたのですが、しかし、地道な日々の努力があってこそ成し遂げられたと思います。我々は、彼のような高い目標を設定出来ないとは思いますが、誰もが自分の努力の先に到達可能な目標を設定して、日々努力することで、それぞれの目標を達成することが出来るのです。
ポイントは自分自身でやれることをコツコツとやり続けることだと思います。もし、ひとのせいで、自分には何も出来ないなどと捨て鉢になれば、せっかく自分自身の力で達成出来ることも見落としてしまうことになってしまうのです。
自分の置かれた環境を嘆くばかりではなく、まず自分が努力したら可能性のあることにチャレンジしましょう。その一歩は小さくとも、その継続、繰り返しがいずれ目を見張るほど高みに自分を連れて行ってくれると思います。そのことで、達成感、充実感、そして非常に大きな幸福感を得られるのです。