イスラム過激派ハマスのイスラエルへの無差別的な攻撃を端に始まった紛争のニュースが次々と報道されています。

 イスラエルの報復のミサイル攻撃では、ガザ地区の民衆も多数犠牲になっています。ハマスの攻撃により、コンサートを楽しんでいたイスラエル市民が多数殺害されたりして民間人への無差別攻撃もあったのですが、民間人も多く住んでいるガザ地区へのイスラエルの攻撃で、パレスチナ人の子供や女性の犠牲者も多数出ているようです。無差別攻撃には無差別攻撃で返すとの考え方だと思うのですが、このような報復が、どうしようも無い恨みと憎しみを双方に植えつけるのです。

 イスラエルとパレスチナは長い間に数度の戦争を経て、その悲惨さに耐えられない人達も増え、和平を模索して来ました。その甲斐あって、共棲の流れも出来かけていましたが、未だにあちこちでイザコザが続いていたのも現実でした。敵対と共棲の間で揺れる両者の心に、ハマスが武力に訴えたのです。そうなると憎しみの方が勝り、再び殺し合いとなってしまうのです。少なくともイスラエルがテロ攻撃を実行したハマスの戦闘員だけをターゲットにして、反撃をしていれば、まだましだったと思うのですが、ガザの街を無差別に爆撃するとは、互いの穏健派が努力して来た和平の道を簡単に閉ざしてしまうことになってしまいそうです。

 大多数の一般民衆の本音は、戦争より平和だと思いますが、一部の武闘派が自分達の存在を示す為に、今回のような卑劣なテロ攻撃を実行するのです。そして、やられたイスラエルも倍返しだとばかり、平和を願う弱い人達をも殺戮してしまうことが非常に大きな問題なのです。

 このような対立構造では、イスラエル、パレスチナ両者の民衆が一番悲惨な目にあってしまうのです。一部の戦争を厭わない好戦派がやりたい放題の殺戮と破壊を画策し、実行するいい機会とさらに民衆をどん底に落として行くのです。

 そのような好戦派はどこの国にも存在し、力づくで己の欲望の為に、大多数の民衆を犠牲にすることなど平気なのです。これに対抗するには、敵味方関係無く、虐げられる民衆が数の力で断固武力行使を妨げないといけません。この日本でも、大きな犠牲の上に築かれた平和と非戦の誓いを破って、少しづつ専守防衛から、攻撃が最大の防御だと読み替えさせようと考えている好戦派が密かに頭角をあらわしつつあると思います。

 と言って、私は反戦だけ唱えて、海外からの侵略を防げるとは思いません。ひとつは外交交渉に、もうひとつは防衛技術に、日本の優秀な頭脳、技術を結集しなければならないと思います。残念ながら今の政策では、どちらとも中途半端です。外交べたと言われるのは、そのようなセンスのある政治家が出ていないことと、受験エリートの官僚を登用して来たからです。また、戦争放棄をいい訳にして、防衛に関係する技術開発をお座なりにして来たからです。確かに、殺戮兵器の開発は必要ありませんが、諜報戦、防衛戦に必要な技術は必要なのです。例えば、敵の攻撃をいち早く察知する技術や敵のミサイルを迎撃する技術は米国に頼っていますが、ここに日本の英知を結集すれば、日本の技術力で先進的なものを生み出すことは出来ると思います。

 日本の政治は、右派とか左派とか、非現実的で極端な思想が綱引きをしていますが、もっと現実的な、実効が上がることを主軸に進める思想が必要だと思います。