このブログで「幸せの物差し」についてよく述べていると思います。それは本来幸せの基準は個々人ひとりひとりによって異なるものだから必要なのですと説明しています。自分個人の幸せの物差しを持っていないと、社会の多数の意見や、一見幸せそうな人達の基準を自分の基準と混同してしまうと言うことが起きてしまいます。そうなってしまいますと、他人と比較したり、比較することで他人を妬んだりすると言ったネガティブな思考になってしまい、それがかえって自身の幸福を感じる感覚を狂わせてしまうからです。
お金や地位や名声は、他人から見ても分かり易い指標なのですが、それが幸せと比例しているかと言えば、そうではありません。私が先人の書いた書物を読んだり、知り合えた多くの人達の生き様を見ていますと、物欲で縛られている人では無く、物欲をあまり感じていないひとの方が、幸福そうな暮らしをされているような気がします。反面、物欲にとらわれて生きている人は、お金を増やすこと、そのお金で手に入るものに固執し、さらにあらたな物を欲して、際限の無い行動に出、行き着く先は、多くの人から合法、非合法に関わらず、富を搾取しようとします。それが多くの人を不幸に落としてしまうあらたな争いを生んでしまうのです。
整理しますと、社会のあちこちで、物欲を満たすことが幸せであるかのような錯覚が広められています。それは、富を得ようとする事業家や民衆から搾取しようと企む権力者の個人的策略です。本当の幸福は、物欲を克服した先にある精神的なものなのだと思います。これらが混同されやすいのは、人間は食べていかないと生きていけない、つまりある程度物欲に支配されるのが必然であるからです。雲を喰っても生きていける仙人ではないからです。だから、理想は生きていける程度の富を得られ、それ以上は、個人の精神的な満足感を得られるように日々努めることだと思います。そして、この精神的な満足感を測るのが、幸せの物差しなのです。そういう意味で、物欲を乗り越えるのが鍵なのですが、飢えに直面していては、とてもそのような心境には到達できません。
私が新ハルモニア主義で力説しているのは、みんなで協力して、あらたな社会の仕組み、ルールで出来るだけ多くの人達が飢えを超えた生活を出来るようにしなければならない、その為に、自然界に存在する様々な食物、エネルギー、物質を一部の人達で独占することなく、一人一人が自分の得意な機能で社会に貢献し、結果として得られたものを分け与え、助け合って飢えの無い世界を作ること、そして、その社会の中で、ひとりひとりが自分の幸せの物差しに従って、精神的な充実感、安定感、高揚感などを感じて、一生を全うすることなのです。