買い物に出ますと、円安の影響で値上がりした商品が多数あったり、天候不順で野菜などの生鮮食品の値上げもあります。値上げは庶民の暮らしを直撃していて、やはり生活が苦しくなって来たという実感が強まっています。

 一方、スーパーやデパートの売り場で、少しでも安くて良い商品を探して、いろいろと陳列を見ていますと、その品揃えの豊富なことにあらためて驚愕します。これだけ多くの種類の品物が所狭しと並んでいるのを見ますと、売れ残れないのかと心配になります。お弁当や総菜など調理された品物は賞味期限は短いので、こんなに沢山、本当に売れるのかと、きっと売れ残りは廃棄処分されているんだろうと、頭のどこかに世界のどこかの何億人もの飢餓状態の子供達の姿が浮かびます。そして、品揃えの豊富さはやり過ぎ感さえ感じてしまうほどです。こんな多くの中から自分の好みに合う商品を見つけ出すのは至難の業です。ついつい、テレビやネットでの人気順位や専門家の評価順位を参考にしてしまいます。ですが、みんながみんな、そのような人気投票で選択していたら、ほとんどの商品は売れなくなってしまうでしょうから、自分の好みで購入する人も多くおられるのでしょう。今の日本、非常に多様化された好みが許されていると思います。

 このような商品の豊富さに触れて、一番の印象は、日本はなんて幸せなんだと思うことです。そんなにお金持ちで無くても、自分の好みを追求出来るゆとりがあるのです。

 このような状態は本当に平和であるから成り立っているのです。前回にお伝えした戦中、戦後の時代や、現在でも紛争の続いている地域では、とても見られない光景なのです。

 そう考えると、なんて幸せな時代に生きているのかと思えてしまいます。確かに、政治家達は自分さえ良ければいいというような行動が目立っていますし、その為に理不尽なことで溢れている社会ですが、それでも、やはり幸せだと感じられるのです。お金がそんなに無くても、元気でさえいられれば、やり方によって自分の趣味に合わせた生活を送ることが出来るからだと思います。一部のお金持ちがネットなどで、豪邸やスーパーカーや高級時計や宝飾品、そして国民年金の給付月額以上を一晩で使うような高級店での食事などを自慢げに投稿したりしているのを見ますと、少し羨ましくは感じますが、それでどれだけ幸せなのか、土台お金で得られるものは一時の刹那的な優越感でしかないと、負け惜しみと言われようが、そう思っています。

 それよりも、少しでも多くの人達が本当の幸せを噛みしめられるような世の中、平和で安全な社会となることの方が絶対幸せだと思います。自分達だけ良ければと刹那的な快楽を貪っていれば、社会は乱れ、また戦争など悲惨な出来事が結局自分達の身にも降りかかって来ると思うのです。

 そう考えれば、みんなで富はある程度分け合い(社会への貢献度によって少しは差がついてもいいと思いますが)、苦しいときは助け合い、そのような共生社会の中で、自分らしく、自分の得意なこと、好きな事で社会に貢献していければ、どんなに幸せでしょうか。

 つまり、今の日本は駄目だらけではありますが、平和で物が溢れていることは本当に幸せなことです。しかし、平和は脆いものであることも歴史が示しています。そのことをしっかり噛みしめながら、この平和な状態を死守しなければなりません。だから政治にも関心を持っていなければならないと思います。一部の特権階級のしたいようにさせていれば、この社会はさらに悪い方向に向かっていくのですから。

 いずれにせよ、幸せへの感受性を高められれば、もっと幸せになれるのです。

投稿者

弱虫語り部

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