前回のブログで、僅かな年金で貧困に喘いでいる高齢者が増えて来ていることに対し、短期的には、給付金を続けて行くべきだと述べました。これは生活保護のような観点で、憲法に保障された基本的な人権、生きることを守る為には必要だと思っています。財源についても、今、国会で検討されている103万円の壁の引き上げ効果で全ての国民に減税されるというような一見公平そうな策を見直して、富裕層、準富裕層に対する減税措置を見送り、当面の貧困層の危機は回避するような応急措置をすべきと思います。

 それでは、根本的にはどう考えたら良いのでしょうか。現在の制度は現役世代から徴取した保険料をベースに、足りない分は税金から補填することで、少ない年金とは言え、高齢者へ支給しているのですが、前回に述べましたように、最初に制度設計された時代の背景と現代は大きく異なっています。当時は、高齢者も大家族の一員として存在し、基礎年金のような少額の年金でも、家族全体では食いつないでいけるような形がありました。そういうことで、国民基礎年金のように、月10万円にも満たない額でも成り立っていたのです。少しづつ核家族化が進む中で、企業などに勤める人には厚生年金制度という、企業が年金保険料の半分を肩代わりすることで、一部対応を図って来たのです。しかし依然として、厚生年金に加入していない個人事業主のような人には、基礎年金しかないのです。前述したように、かつてのように、個人商店を世襲していき、子供が親を扶養していくのであれば、これでよかったのでしょうが、今は、大家族で高齢者を支えるようなことはほとんど少なくなっています。また、離婚率が高くなり、単身世帯として、少ない年金を分けなくてはならない形も増えています。もちろん、少子化が加速したことで、高齢者を支える現役世代が減少しているのが今の年金制度の最大の弱点となっているのです。

 私のイメージは、家族という単位を前提にした生活から、そして、現役世代が平均して何人の高齢者を支えるという仕組みから、社会全体が個を支える生活を前提にした制度に移行していくのがいいと思っています。つまり、富を保有する規模の大きさに比例して、社会に還元し、支援していくような制度にするのです。

 以前のブログで、富裕層への税率が高いことに対する意見を述べたことがあると思いますが、税金はそれを納付した後の手取り報酬額を問題にすべきだと思います。例えば年収が500万円の人が税率2割としたら、実質手取り額は400万円になります。一方、年収一億円の人が税率7割であっても、手取り額は3000万円となります。税率で比べれば富裕層は法外な税金を徴取されていることになりますが、それでも、一般層に比べて、多大なお金を手元に残せることになるのです。

 富裕層は自分の力で稼いだのだから、あまり高い税率ではヤル気が無くなると言う人もいると思いますが、長い目で見れば、広い視野で見れば、社会から貰ったお金は社会に還元しないと、社会が荒廃して、いずれは自分自身の生活をも脅かすことになることに気付いて欲しいと思います。際限無い欲はいずれは自分の身を亡ぼすことになることをも。

 だから、この社会では、富める人達が貧しい人達を支えていくのを基本にするのです。一見、不公平に見えますが、それでも富裕層はある程度裕福な生活を送ることが出来、併せて、もし貧困層が減少すれば、社会が安定し、消費活動も増えて、経済を潤すことになり、結果として、資本家や企業幹部の富裕層のビジネスを繁栄させ、社会の治安も安定することになりますので、このような仕組みにすれば、富裕層、中間層、貧困層ともにウィンウィンの関係になると言う訳です。

 このような考え方は、生物の共生に基づくものです。限られた富を奪い合うことでは、社会秩序は崩れてしまい、人類はいずれは共倒れしてしまうのですが、富のあるものが無いものに与えることにより、平穏な社会を続けて行くことが出来るようになるのです。

投稿者

弱虫語り部

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