今年の1月17日に、阪神淡路大震災から30年が経過します。その間に、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震と、大きな被害が生じた地震が続いています。
被災地では、多くの犠牲者、被害が出て、人々の暮らしもままならない状態になっていました。その中で、自分の被害を顧みないで、他の人々の力になろうとする人達が現われ、助け合って、何とか命をつなぎ、またその後の復興に努めていくのでした。反対に、被災した家屋に侵入し、家財道具や食料などを盗む人も出て来ます。
このような、極限の状態になりますと、人間はその本性を現わすのです。
ですから、このような状況で出来た人間同士の信頼関係が平時に戻っても大きな絆を生むことになると思います。これはビジネスの世界でも同様のことが起こります。
ネットの記事を見たのですが、大丸デパート神戸店、長田店は大きな被害を被った地域の中にありました。それこそ、商売なんて出来る状態ではなかったのですが、家が焼失して、着るものも無い状態の顧客に、裾上げなどで預かっていた衣服製品を、顧客の居所を探し出してお渡ししたり、その衣服を使用する持ち主が死亡されているのが分かれば、買い戻したりして、顧客の助けに少しでもなればと奮闘したそうです。これはほんの一例ですが、店長以下、商売抜きで、この場で何が出来るか、すべての店員が考えて、少しでも多くの顧客の力になり、そのような活動も功を奏して、その後、何とか再び開店につなげたのだそうです。
そのときに生まれた信頼関係は後々までも、良き店と顧客の関係をつないだようです。金儲けが目的のビジネスであっても、そんな極限状態では、お互い助け合うことがそのときは全てなのでした。そして、そのようなビジネスを離れ、お互い助け合うことに本来の理想の社会があったのです。
大地震のような災害は起きない方がいいに決まっていますが、しかし、起きた後には人間の本性が露わになった社会があるのです。その中で、築かれた絆こそ、社会に絶対必要な姿だと思います。平時では、綺麗事を並べて来た政治家が被災者の大した力にもなれずに、自分の生活を優先するのを見たときに、彼らの言っていたことが如何に選挙目当ての嘘八百だと露呈するのです。その逆に、自分の命も生活も顧みずに、奮闘する人間がいれば、その人こそ、民衆の代表として相応しいのだとはっきり判るのです。