民主主義と言われる、人民の投票、選挙により選ばれた代議員や首長が国の舵をとる多くの国で、国を分断するような主義、主張の相違が問題となっています。

 G7と言われる先進国でも、イギリス、フランス、ドイツ、米国で、保守的、中道的なこれまでの政権に反発する勢力が台頭しています。これは、景気低迷、物価高騰、失業率増加などの切実な市民感情の既存政党に対する、反発、捌け口となるある意味過激な主張を展開する政党、政治家に人気が出て来ているのたど思います。

 特に、米国のトランプ次期大統領のような、自国第一主義が支持されて行っていますが、行き過ぎた国粋主義は、長い目で見れば、世界全体、そしてその国自身の為にも、マイナスとなり得るような気がします。

 しかし、そのような本質論とは逆行して、移民が悪い、他国の人間が悪いと、画一的に敵を作り、自分達の政治のやり方が悪いことを他に転嫁してしまうことに、同調してしまう人達が多く存在しているのでしょう。

 私が主張していますのは、本来、地球に住む生物はひとつのいろいろな意味で運命共同体であると思います。環境問題、異常気象問題、感染症問題の前では、国境というものはほとんど無力なものだからです。さらに経済活動もそうです。徳川幕府時代のような鎖国政策などは砂上の楼閣なのです。現代では、国際的な活動無くして、どの国も経済的に成り立たないようになっているのです。そこに、関税や国を挙げてのダンピングというような本来の自由であるべき経済活動に逆らうような動きは様々な不都合や遺恨を残すことになるのです。

 世界には様々な国があり、民族があり、宗教がありますが、それらをひとまとめにして、ものを語ることは大きな過ち、誤解を生むことになります。本来、人間は同一種ではありますが、またひとりひとり個性があり、主義主張も違い、善悪の観点も違います。たまたまある国に生まれたからと言って、みんな同じような人間にはならないのです。どの国にも、非常に善良な人もいますし、悪人もいるのです。

 残念ながら、人間は本当の民主主義を貫くには未熟過ぎるのかもしれません。その未熟な人間が、いっときの感情で、過激な主義や主張を信じてしまうことは大いにあるのです。そのような状態にあれば、多数決というやり方が仇になってしまうこともあるのだと思います。多数決は本来の民主主義の核心ではありません。数だけで物が決まるようになってしまうと、ひとときの人気や熱で、その国のリーダーが決まったりしてしまうのです。ヒトラーは典型的な例です。最近の世界の政情は、そのときのにおいに近いものを感じざるを得ません。

 数をとる為には異国を敵に回すことも厭わないようになってしまうと、その先にあるのは、憎しみと怒りだけなのです。数をとることを目的にしてしまうと、多くの民衆が幸せに生活出来るようにする民主主義の本当の目的が忘れ去られてしまうのです。

 独裁政治は恐ろしいものですが、それを生んで来た民衆の数の論理も非常に恐ろしいと言わざるを得ません。そのことを我々はきちんと認識して、政治に対面しないといけないのです。

 昨今の世界情勢を見ていますと、二度の世界大戦で苦しんだ多くの教訓が薄れてしまっているのに恐怖を感じます。人間は、先人が経験した歴史からどれだけのことを学んで来たのか、否、忘れている人間の方が多いのではないかと疑ってしまいます。そんなことであれば、非常に暴論ですが、多くの知識、情報を学習しているAIに政治を決めさせた方が、貴重な人類の歴史を反映できるのではないかと、最近、感じはじめています。

 そんなSFの世界のようなことになってはいけないと思いますが、その為には、少しでも多くの人間が、小さい時から長い歴史の中で得た先人の教訓について、もっと時間を割いて、学んでいくことが必要なのではないでしょうか。受験勉強などより、よほど大切な教育だと思います。