中居氏のトラブルに端を発したフジテレビの問題は日を追う毎に大きくなっています。フジテレビの経営の対応に嫌気が指した多数のスポンサー企業がCMを差し止めています。このままの状態であれば、フジテレビという企業の破綻につながることは間違いありません。そのような状況に陥ったことに対する原因は、フジテレビの社長以下幹部の甘い見通しによりまずい対応しか出来なかったことにあると思います。

 フジテレビの社長の経歴を見ますと、ディレクター、プロデューサーでヒット作品に関わったやり手の制作現場のエリートのようです。その功績により、社長にまで昇りつめたのでしょう。しかし、経営者としての真価は、その企業が窮地に陥ったときに発揮されるものです。そういう意味で、彼は、制作マンとしては優秀だが、経営者としてはその能力が高くないと言わざるを得ません。一昨年に、中居氏とフジテレビ社員の間のトラブルを知ったときに、彼が適切な対応をとっていれば、このような企業存亡の危機に陥ることもなかったと思います。

 私は感じているのですが、事業の遂行と経営とは、異なった能力が必要だと思うのですが、多くの企業では、現業への功績(表向きかもしれませんが)で経営者を選ぶ傾向にあります。それにより、今回のような危機が生まれるのです。最近、執行役員制度が普及していますが、経営判断を下す取締役と事業活動を推進する執行役員を区別する傾向はありますが、残念ながら、ほとんどの企業では、執行役員の上位者が取締役を兼務していて、経営のプロとしての取締役が抜擢されるケースはまだまだ少ないのです。経営の監視機能としての社外取締役制度や監査制度もまだまだ身内に甘い布陣しか出来なくて、実効を上げているとは言えないような気がします。

 もちろん、事業のことを良く分からない人が経営にたずさわるのに抵抗があるのも分かりますが、それなら、執行役員、事業部幹部のなかから、経営センスの在り無しで取締役を選ぶことが重要です。しかし、残念ながら、社長や会長が経営センスより、自分の言う事をよく聞くイエスマンを登用することが多くなっているような気がします。このことが平時には問題は表面化しないのですが、今回のような危機のときに、問題が露呈するのです。

 このような選択をするトップは、企業や従業員のことより、自分のことの方が大事なのです。本来は、トップへの忠誠心などよりも、本当に企業の為になる人材を選ばなくてはなりません。それなのに、自分が楽が出来るイエスマンばかりを登用するのは、自己中心、保身第一のトップなのです。このようなイエスマンが連なる経営幹部の系譜が企業を腐らして行くのです。

 今回のケースでも、社長が自己保身に走っているように見受けられますが、企業の存続と社員の暮らしを守りたいとなれば、自分を犠牲にしてでも、早期に問題を明らかにし、改革を進めておくべきでした。

 

投稿者

弱虫語り部

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