NHKのドキュメント番組でウクライナの女性兵士を取り上げていました。ロシアの侵略以降、女性兵士は5倍程度に増えていて、全てが志願兵なので、士気は高いそうです。中には、幼い子供達を残して戦場に派遣されている女性兵士もいますが、祖国の土地、自分達の暮らす街がロシアに攻撃されたり、占領されたりするのが耐えられず、志願しているようです。
女性兵士と言えども、最前線で歩兵として敵と直接対峙して戦闘をしたり、スナイパーとして敵兵を狙撃したり、ドローンの操縦士として敵の偵察、攻撃をしたり、かなり命が危険な任務についている女性兵士も数多くいるようです。その前線で、ごく近くで味方の兵士が多数死亡する中で、その極限状態を呪い、このような戦争を始めたものを口汚く非難する様子が生々しく映されていました。
どうして、このような殺し合いをしなくてはいけないのでしょうか。敵も味方もみんな非常な不条理さを嘆いていると思います。もし、日本が他国に攻撃され、侵略を企てられたりしたら、我々はウクライナと同じように戦わないといけないのでしょうか。戦えるのでしょうか。
ロシア経済は欧米からの経済制裁を受けても、それ程の痛手を受けているようには見えません。それは、毎年20兆円という莫大な軍事費がロシア経済を牽引しているからだそうです。そして、その裏には、軍事産業でボロ儲けしているオリガルヒ(政界と密接に結びついている財閥、富裕層)がいるのです。多分、儲けの一部は、ロシア政府や軍部の幹部にも流れているのでしょう。また、米国がウクライナの鉱物資源、レアアースの採掘権を獲得しようと画策しているようです。戦争の裏では、愛国心とは程遠いこのような生臭い話が必ず隠れているのです。
そのような状態に、ウクライナの女性兵士には、自分達は何の為に命を捧げているのか分からなくなって来ている人も出て来ています。戦争とは一部の人間の欲望の達成の為に企てられ、多くの善良市民を巻き込み、命のやり取りをさせているのです。
故郷のため、愛する人間のためと、志願して戦地に赴いた兵士達は、その悲惨な状況と、安全な場所でそれぞれの思惑に従い駆け引きをする一部の人間達とのギャップの狭間で現実が見えて来たと思います。
戦争というものは、リーダー達は愛国心を前面に押し出して、死傷した兵士達を英雄視して称えていますが、兵士達の個々の命をそれほど大切にしていないのが本心です。リーダー達が自分自身が戦場で命のやりとりをすることになったら、このような悲惨な命令を下すことはないでしょう。兵士の命と自分の命を同列に考えることが出来れば、戦争など起こす訳はないのです。彼らは自分の欲、損得でしか物を考えていないのです。戦争をして得するものは、戦争に行かないリーダー達や幹部、そして死の商人(武器商人)達だけなのです。
敵も味方も関係無く、戦地で命のやりとりをしているみんなが、自分達の命は誰かの地位や富の為にかけていることに気が付き、武器を置き、命を捨てないようにすべきです。命は国や指導者達や死の商人達の為に捨てるべきではありません。