世界には対立が溢れています。国、民族、宗教、主義、出自など、大括りにして自分側の考え、主張などが正しく、それ以外は誤っているとして、排除しようとする力が働くように対立を煽るのです。そして、それが高ずれば、戦争などと言った暴力的な行動で、対立している相手を排除しようとするのです。
このような対立の構図を是としてしまえば、戦争や紛争は絶えることはないでしょう。反対に、世界には色々な考え方をする人達が存在することを認め、自分達の考え方を他に押し付けること無く、相手の考えも尊重すれば、共存することが出来るのです。どんな考えを持っていても、どんな括りにされていたとしても、善人は善人であり、悪人は悪人であるのです。
しかし、権力を握り、地位や富を欲する一部の人間がいると、敢えて対立の構図を作ろうとするのです。そうすることで、自分達の考え方などが一番正しいとして、他を武力を背景とする力で排除しようとします。それが国と国であれば、ロシアとウクライナのような戦争へと発展させて、力で自分達の要求を勝ち取ろうとするのです。
人間の考え方は様々あり、どれが絶対的に正しいと言うことはありません。ですから、どちらかが絶対的に正しいとするには、話し合いでは決着はつく筈が無く、結局、暴力で決着することになるのです。このような構図が世界のあちこちに存在しているのですから、地球に平和が訪れることは無いのです。
それでは、我々は何をしたらいいのでしょうか。実は小さな対立の構図は我々の身近な所にも存在しているのです。それは我々の中にある偏見から始まるのです。例えば、日本にいる外国人に対して、どうでしょうか。例えば一纏めにして、中国人、韓国人は嫌いだと言う人も多くいるでしょう。さらに自分では理解出来ないと、LGBTQの人達を認めない人も多くいるでしょう。同じ日本人同士であっても。宗教で対立する人達もいるでしょうし、出自を問題にする人もいるでしょう。我々の周りにも当たり前のように偏見でもって、それも、個人の性格、性質とかではなく、国、民族、宗教などで大括りにして、他人を評価し、差別することが溢れています。
我々のこの行動が、権力者達に利用されるのです。我々の思考の中にある差別意識をうまく呼び起こして、敵を作るのです。そして、我々の生活が苦しいことや、我々の仕事がうまくいかないのを、本当は治世のやり方のせいなのに、敵のせいにするのです。
ヒトラーはユダヤ人のせいにしました。スターリンはドイツ人のせいにしました。イスラエルはアラブ人のせいにしました。米国はイスラム教のせいにしました。プーチンはウクライナ人のせいにしました。善悪も含め色々な人達がいるのに多くの人々を一括りにして、悪者に仕立てて来ました。我々一般民衆がそれに乗せられて来たのです。
だから、我々が何をすればいいのかがはっきりと見えて来ます。我々は一切の偏見を捨て、人間ひとりひとりを見なくてはいけないのです。その考え方や思想に耳を傾け、その人は何故にそのような行動をするのかを理解出来るように努めるのです。そして、本質的なその人達ひとりひとりの人格を理解しなければなりません。そうすれば、大括りの分類ではなく、個々人への評価が出来てくるのです。それが出来れば、大括りな分類の中でも、いい人もいれば、悪い人もいることが明らかになります。そして、何人だから悪い奴だ、何宗教だから悪い、何民族だから悪いというような偏見は無くなると思うのです。権力者が何と言おうと、彼らが一括りにした敵が、みんな悪い奴らだなどと言ったことは嘘であることに気付き、自分達の本当の敵は、そのような偏見での大括りで敵とする権力者であり、それを利用しようとする悪人達なのです。