先日のブログでも触れました高校授業料の無償化については、現在、国は世帯年収910万円未満の子供に公立私立を問わず上限11万8千8百円を、世帯年収590万円未満の子供には、私立を対象に上限39万6千円を補助しています。これを、いずれ所得制限を撤廃するように求めています。

 所得制限を撤廃することは、すべての国民の教育への機会を平等化することとして、一見正しいと受け止められていますが、以前にも述べましたようにそれは、まやかしの平等でしかありません。つまり、日本社会がこれだけ貧富の格差が大きくなったのですから、それを是正するのが本質的な問題であるからです。

 所得格差が非常に大きい現実に目を背けて、授業料だけを無償化することに、我々一般民衆は誤魔化されてはいけません。

 限られた税金をどう使って、少しでも多くの国民がある程度豊かな生活を送れるようにするかが、国家予算策定の最大のポイントです。しかし、限られた税金だけでは賄えずに、近年の日本は国債の発行に頼っているのですが、それだけ支出を増やしても、一般国民の暮らしは豊かになっていません。

 それなのに、所得の格差が大幅に拡がっているにも関わらず、高所得者にも税金を使って、授業料を支援することには非常に違和感を感じる訳です。

 平等、平等と叫ぶのであれば、世帯の所得を平等にするべきです。そんな共産主義のようなことをすることは、向上心を欠如させることにつながるので、私も賛成ではありませんが、しかし、これだけの所得格差をそのままにして、富裕層にも税金から支援するのはおかしいと言っているのです。頑張る人に多く報酬を与えるのは、その通りなのですが、一部の人間達が富を独占することは災いの源泉だと思います。

 日本のこの社会を良くするには、まずは極端に開いた格差を是正しなければならないのです。だから、税金の支援の必要が無い富裕層には、自分の力で、自分の子供達の教育の負担をしてもらうのは当然だと思います。反対に、貧困層には手厚く支援し、一般国民層にはそれなりの支援をするべきなのです。

 人間は自分だけ良ければいいと思い易い生き物ですが、それが多くの悲劇を生んでいるのです。社会は多くの人間が生活しています。そして、すべての人間には存在価値があるのです。社会を支える為のいろいろな仕事を担うものがいなくなれば、いくら富裕層が金を持っていても、現代の快適な生活を維持出来ないのです。そして、貧困が拡大していくと、社会の秩序が崩れてしまい、犯罪の多い社会や戦争をして力づくで富を奪うような社会になってしまうのです。歴史が示すように、そのようになると、お金を持っていようが、全ての人に不幸が蔓延するのです。金に物を言わせれば、何でも出来ると思っている人は過去の歴史を見てください。金で一時的に危険から退避出来ることもあるかもしれませんが、残念ながらそれは一時的なことでしかないのです。社会全体に秩序があってはじめて金も活かされるし、平穏も訪れるのです。

 だから、富裕層は稼いだ富からある程度は社会への還元をしなければならないのです。それで、社会が貧困から救われるのです。そして、平和、平穏が訪れるのです。富裕層もこのような基本的なスタンスを理解し、実行出来れば、自分達も含め、社会全体の秩序が保たれ、平穏が訪れるのです。

 本当の平等とは、一律授業料免除などと言った部分的な事ではなく、真面目に暮らしていけば、皆がある程度の豊かな生活を送れるような社会を作ることだと思います。

投稿者

弱虫語り部

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