大リーグドジャースとカブスの開幕戦が日本で開催されました。日本人選手が5人も出場するということで、大いに盛り上がっていました。彼らは、かつて日本のプロ野球界のトップ選手であり、大リーグに渡り、名声と巨額のマネーを手にした憧れの選手達です。まさにアメリカンドリームを正夢にした人達です。
このような選手達に日本のファンも熱狂しています。多くのファンにとっては、みんなの夢を実現した憧れの存在でもあり、そのことで、勇気や感動を与えてもらい、ファンひとりひとりにいい影響を与えていることは間違いないでしょう。
戦後、日本は米国の豊かさに憧れ、少しでも近づきたいと努力して来ました。そのことで、20世紀後半には、ジャパンアズナンバーワンと言うような本がヒットしたくらい、日本も豊かになって行きました。為替も大幅な円高が進展し、ドル基準の物価や給与は欧米と肩を並べるまでに、なっていました。しかし、その後の失われた30年と言われた不況期を過し、為替も円安に大きく振れて、今ではドル基準の給与も物価も欧米のザクッと言って半分に下がってしまいました。
野球の世界に話を戻しますと、こちらの日米の年俸は一次、数分の一にまで近づきましたが、ここに来て、数十分の一以上の開きが生じて、同時に日本選手のレベルも向上したこともあり、日本のトップ選手が大リーグを目指すことが当たり前のようになって来たのです。
アメリカンドリームとはよく言ったと思いますが、米国の社会は、実力さえあれば、大きな成功をつかめる非常に自由で可能性の開けた社会ではあると思います。しかし、米国社会全体を見れば、そんな夢を達成出来る人はほんの一握りで、多くの貧困層を抱えているのも事実です。我々日本人から見て、より高みの夢を叶えるチャンスがある米国社会ですが、ほとんどの人にとって、単なる夢でしかないのです。そのギャップが多くの人間にとって生き難い社会を作っているのです。米国ほどではないですが、日本国内も、ある程度の夢を叶えられる土壌が出来て来たと思いますが、それを勝ち取ることが出来る人はほんの一握りでしかありません。米国に蔓延しているような格差が日本にも拡がって来ているのです。
誰もが夢を追求出来る社会は素晴らしいと思いますが、それをつかめる人の席が少な過ぎるし、また勝者の得られるものが一般の人に比べ莫大な差があることがこのような格差社会を生んでしまったのです。
問題は大金を手に入れられるような職業が限られていることと、例え夢が叶わなくとも、頑張って来た人には、ある程度の豊かな生活が出来るような仕組みが今の社会には無いことだと思います。
米国流の競争社会は誰でも可能性があるということで、素晴らしいのですが、敗者にとって厳し過ぎ、また、花形以外でも社会にとって必要不可欠な多くの職業を軽んじていることが現在のような格差社会を生んでしまったと思います。
大リーグのトップ選手が多額の報酬を得られることは悪いことではありませんが、一般の国民の数百倍以上の年収とは、その開きがあまりに大き過ぎると思います。
本来、人間の価値はここまで差がある訳では決してありません。今の社会の仕組みの中では特定の職業のボジションが大きな金を生むということで報酬が決められているのですが、その仕組みが問題あるのだと思います。
例えば、コロナ禍で注目された看護師などの医療従事者や、今後益々需要が増える福祉関係の介護職や保育士などは、その社会的な価値からすれば、もっと報酬を与えるべきだと思います。最近起こった道路陥没事故の原因になった下水道の劣化のような社会インフラの維持管理に従事する人達だって、もっと高い価値がある筈です。
私は大リーガーのような花形職業を否定してはいませんが、エッセンシャルワーカーと言われる我々の日常生活を支えているような職業の価値を再考すべきだと言いたいのです。その他、社会を支えている職業は多数ありますが、どれが無くなっても、社会は混乱してしまうでしょう。
すべての職業を尊重し、その価値を正当に評価し、多くの民衆がある程度の豊かな生活を享受出来るようになる基本的な土台の上に、アメリカンドリームのような更なる高見が出来ることであれば、それは皆の夢として、向上心を高める為にも意味があると思います。しかし、今のような、貧困層が多数存在する社会の中で青天井の地位と報酬の花形職業が存在する状態は決して多数の民衆の幸福を支える社会とはならないのです。