2025大阪万博が開催されました。今回の万博がどれだけ成功するのかは今後の成り行きを見てみたいと思います。

 さて、今から55年前にも、大阪万博が開かれました。出展者は77ヶ国、4国際機関、1政庁、9州市、国内1040団体、外国2企業が出展し、半年間で目標の倍以上の約6400万人が来場しました。日本が高度成長期を駆け上がりつつあった時代で、新幹線の開業などもあり、大変な盛況の内に終わった大会でした。そう言う時代背景下でありましたので、国内外から好意的に受け止められ、未来イメージの創出という面でも意義深い大会であったと思います。

 この大会のスローガンは「人類の進歩と調和」でありました。

 進歩という点では、宇宙船、月の石の展示の他にも、リニアモーターカー、テレビ電話や現在のスマートホンにつながる移動通信機、電気自動車、温水便座、コンピューター囲碁など、今日に市販化された、又はそれに近い製品が数多く展示され、「人類の進歩」が確実に進展していくことを示していたと思います。

 それに対し、もうひとつの「人類の調和」という点では、残念ながら、当時もベトナム戦争など大きな紛争がありましたが、現代になっても、相変わらずウクライナ、ガザ地区など紛争が絶えることはありません。この調和ということについて、万博ではどのようなことが行われたか調べてみますと、太陽の塔の近くに「お祭り広場」が設置され、そこでは、各国が伝統的な踊りや芸能などのパフォーマンスが連日繰り広げられたのでした。特に調和と言う意味では、国籍を超えて、いろいろな国民や人種が入り乱れて踊ったり、歌ったりする姿が印象的で、生身の人間が直接肌が触れ合うくらいの距離で、交流すると、誰もが平和で幸せそうなひとときを共有出来たということでしょうか。

 これこそが今後の人類の平和へ向けての重要なポイントであると思います。現在は、国と国の関わりは各国政府が外交的な対応をしています。これには、政府の意志が反映され、それぞれの政府(権力者)の思惑が先行し、それが行き過ぎると、紛争になったりするのです。一方、お祭り広場で交流したような市民レベルでの人と人の交流はお互い分かり合おうとして、だいたいが友好的な感情がメインとなり、言葉も習慣も違う人間同士であっても、瞬時に仲良くなれることが多いのです。

 国と国という何か得体の知れない、実際は一部の権力者の思惑で決まってしまうような関係では、いくら平和を叫んでも、紛争は絶えません。それで今日までも数多くの紛争が絶えない状況が続いているのです。一方、市民レベルでの交流では、生身の人間同士が相手の体温を感じて、何とか友好的に事を進めようとしていく流れが生まれるものなのです。それはもともと大部分の人間は平和に平穏に生活することを願っているからなのです。それなのに、国を率いる権力者達のレベルになりますと、自分達の欲望達成が第一優先となり、欲と欲がぶつかる限り、紛争が絶えなくなるということなのです。

 人類はそろそろ、主義や宗教という仮面をかぶって、実は一部の人間の欲望の達成の為に動くような国という組織から、新たな組織を作っていかなければならないと思います。それは、国境を越えた市民ネットワークが地球上の問題を解決する当事者となるような新たな国際的なつながりなのです。

投稿者

弱虫語り部

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