新ハルモニア主義では、人間の思考のパターンで、非常に大雑把ではありますが、三つのパターンに分類して、その行動の傾向を考えて来ました。

 もう一度、その三パターンを振り返りますと、他人のことを理解し、他人の立場にたって考えられ、行動できる人達をAEと呼びます。他人のことを全く考えずに自分の欲望を達成することができる人達をDEとよび、その中間の人達をWEと呼ぶことにしました。

 次に、それぞれの特徴をおおまかに示しますと、
①AEは正当に、真面目に働くひと、DEは正当に、真面目に働かないひと、中間派がWEで、出来れば楽をしたいが、生きるため、法律で規制されているために、正当に、真面目に働き、そのときの環境に支配される。例えば、ひとに見られていなければ、サボったり、楽をしたりする。
②AEは、ひとに見られていなくとも、善行を行うことができる。WEは、ひとに見られていなければ、悪を働くこともある。DEは、ひとにわからないように悪を働く。
③WEは、そのひとの保有する知識によってAEに近いひとになるか、DEに近いひとになるかが決まる。知識とは、知恵に通じ、自分の行動が、他者や社会にどのような影響を及ぼすかを判断する材料となります。また、ひとが言うことの、正邪、善悪、正誤などを見極める材料ともなります。

 と言うものでした。さて、ネットの情報で、知能指数IQの分類で、IQ70以下を知的障害、IQ70~85を境界知能と分類しているそうです。知的障害は障害の一種として、社会的にある程度のケアがされているのですが、境界知能の人達は一般の人間として、普通の位置づけにおかれていて、約14%の人がそれにあたると言われています。最近の研究では、境界知能の人は、その特性として、数的な処理が苦手、作業スピードが遅い、物事の理解が表面的、適切なコミュニケーションが苦手な傾向がありますが、一見、そのような困難さも周囲の人からわかりにくいため、理解を得られず、困難な状況に陥っています。境界知能に起因する生活上の困難が原因で、ひきこもりや不登校などになっている人もいるようです。

 また別の最近の統計では、ある少年院では、全体の8割近くの入所者が境界知能であるそうです。彼らは、これをやったらどうなるのか、という先のことを考えた行動が苦手で、自身の感情に従い行動し、被害者の気持ちを考える余地はなかったようです。

 新ハルモニア主義での3パターンの分類と境界知能の特性を重ねてみますと、境界知能の人がDE系と重なる部分もあると思いますし、WE系の人が環境や経験によって、DE系に近い行動をすると言ったこととも関連しているかもしれません。

 もちろん、境界知能と言った知能指数で全てが決まる訳では無く、高IQであっても、他人の痛みを理解出来ない人も存在し、低IQであっても他人に優しい人も存在するように感じています。だから、IQだけで、人間を分類することは適切ではないと思います。

 但し、ひとつの指標として、境界知能の人達にも、何らかの社会的なケアを施さなければいけないと思います。つまり、境界知能の特性を理解した教育や社会人としての位置付けを構築すべきだと思うのです。知的障害者や発達障害者のように、学校や職場で、その特性に応じた対応や仕組み、支援をしていかなければならないと思うのです。

 境界知能の人がその特性から苦手であることがあっても、それを非難し、抑圧するのでは無く、長所をみつけてそれを磨くことを重要視する環境や支援があれば、社会の一員としての快適な居場所が出来る筈であり、そうすることで、不登校、引きこもり、犯罪といったような社会的問題の解決にもつながると思うのです。

 新ハルモニア主義での三パターンの分類を考えたときには、知能指数IQを意識していませんでした。今回の考察を振り返りますと、知能指数IQを直接的に人の分類にするのは適当ではないと思いますが、その人の行動を理解するときに、考える力、知識なども大事な要素であると認識しました。



投稿者

弱虫語り部

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