俳優の渡辺裕之さんが亡くなられたと言う報に接しました。状況から見ますと自殺されたのではないかと推察されます。まだ66歳で、最近もゴルフ番組で元気な姿を見せておられたので、信じられない思いです。非常にダンディなお姿で俳優としても渋い二枚目の演技に油が乗っておられたし、趣味のゴルフ、ドラムもお上手で、おしどり夫婦として有名で、お子様達も立派に成長されて、傍からみれば、羨ましい人生を歩んでおられるようにしか見えなかったです。そういう面では、竹内結子さん、三浦春馬さんの死においても同じ思いを抱いたことを思い出しました。我々一般凡人から見れば、大変羨ましい方達でしたが、いずれも大きな闇を抱えられていたのでしょうが、そのような事は本人にしか分からないのです。
 ひとの幸せを計るものさしは、ひとりひとり違うべきものですが、なかなかそれを見出すことが難しいことは以前にお話したと思います。それこそこれらの方達をひとくくりにすることは失礼ではありますが、敢えて共通するかもしれないのは、彼らの得て来た名声や地位は非常に高いものがあり、そのことが当たり前として捉えられるようになりますと、さらに満足する為には、さらに上を望んでいたり、その位置をキープする為にいろいろな困難があったりして、そのことで傍からは幸せそうに見えても、そうではない感情を抱かれてしまうこともあるのではと思います。どうしても大衆の目に晒され、スターとしての偶像から逃れられないことが、単純に自身だけの幸せのものさしを作ることは我々よりもさらに難しいことなのかと思います。そのことに気付かれて、飾り気の無い自分を晒して、思うままに生きておられる芸能人もおられますので、その境地になれるかが人生の大きな岐路となっているのでしょう。
 我々は芸能人ほどではありませんが、やはり多くの人達が世間で作られる典型的な人生模様を幸せのものさしにしている人達が多いのも事実です。本来、幸せというものは、自分自身で感じるもので、回りの人達の評価などは何の意味も持たない筈ですが、なかなかそのようにわきまえられることは難しいのでしょう。もちろん、周りの人達や社会に迷惑をかけても、自分が幸せと感じれれば何をしてもいいと言っている訳ではありません。他人に迷惑をかけないことは最低限のルールですが、それを守っていれば、どんなことに幸せを感じてもいいのです。
 他人を見ていると、良いところしか見えないものです。「隣の芝生は青い」というように。まして、芸能人の姿を見ていますと羨ましいことばかりですが、結局、他人の上辺を気にしていては、駄目だと言うことなのです。他人に羨ましがられるような生活を見せびらかすことで幸せと感じているような人も、SNSの中では多く見られますが、自慢することでしか己の存在を示すことが出来ない人は、結局、周りの人達の評価に潰されてしまうものです。
 他人の目を気にせず、自分の確固たる生き方をできるひとが簡単に壊されることの無い幸せを見つけられるのです。多くのひとは自分の生き方に自信がないので、世間のものさしに頼るようになってしまうのですが、少しでも早く、これが自分の生き方だ、これが自分の幸せだと自覚できるようになることを願っています。しかし、正直、私もそうは自覚していましても、ちらちらっと他人の世界が気になってしまう弱虫でもあります。まだまだ修行が足りませんね。

投稿者

弱虫語り部

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