このブログで、新ハルモニア主義の政治改革案では、政党を否定しています。もちろん、政党というものが、それぞれの政党の理念、政策案に共感する人達が集い出来ているのであれば意味のあるものと思いますが、日本の現在の政党は、選挙に勝つ手段として集まっている政治家達がほとんどなので否定しているのです。つまり、選挙のときに候補者を選ぶときには、政治家としての能力、倫理感などよりも、ネームバリューのあるもの、議員の地盤、看板を持っている二世、三世のもの、出身母体の集票が期待できるものが多数を占めています。その結果として、当選後、不祥事が表面化する議員が多く出るのです。本来は、国民、市民の為に身を粉にして働くことが出来るひとを候補者として選ぶことが理想なのですが、それらの議員は、そんなことより、議員の収入、特権、名声を得ることが真の目的であるので、その地位に胡坐をかいて、ついつい本性がバレてしまうのだと思います。
政党というものは、基本理念に強く賛同したものが入党すべきですが、選挙のために、急ごしらえで選んだ候補者にそのようなことを期待するのが土台無理なのかもしれません。
かつて政治家などの国を引っ張るリーダーの育成を狙いに、故松下幸之助氏が松下政経塾を設立しましたが、松下氏は選別と研鑽で少しでも質の良い政治家をこの世に出そうと考えられたのだと思います。各政党もこのような下地をこしらえて、その中から相応しいひとを候補者として選ぶべきだと思います。厳しい選別を経たひとだけしか候補者にしないというのであれば、有権者は迷いなく、心配なく、自身の支援する政党の候補者に投票できるでしょう。
政党という看板を掲げたいと思うのであれば、候補者の人選にもっと労力をかけて、責任もって推薦していただきたいと思います。何か問題が出れば、除名したり、離党したりしたら、後は知らないというのであれば、そのような政党をどうして信頼できるでしょうか。