東京五輪パラリンピックの最終的な経費(出費)が発表されました。2013年のオリンピック招致段階では、7340億円と見積もっていた経費は、1兆4238億円と倍近い額になったようです。新型コロナウィルスの蔓延など予期出来なかったこともあったとは思いますが、これほどまでに差が出るとは一般の事業活動では考えられない程度だと思います。
もし、私企業であれば、こんな杜撰な見積もりは許されないでしょう。うがった見方をすれば、国民を騙す為に敢えて少ない見積を示したと考えてしまいます。想像ですが、その当時もそれほど景気がいい訳ではなかったし、国の借金問題も叫ばれていた中でのオリピック招致が至上命令だとすれば、国内から招致反対の声を広げないように配慮して、最初から総額はこの規模だと設定されて、それに辻褄の合うように、細部が見積もられて行った希望的観測でしかない見積だったのではないでしょうか。
組織委員会には、各省庁、自治体、民間企業からひとが集められて、企画、準備、大会開催を進めて来たのですが、それぞれが各競技、選手村、運営など細部を担当し、見積額では到底賄えない目標を達成する為に積み上げていった結果が1兆4238億円となったのでしょう。前述したような意図的な過少評価だったのか、本当に杜撰過ぎたかは分かりませんが、無観客でチケット収入ゼロでしたので、この費用は税金が大半だったと思います。ひとりひとりの担当する部分は数億円、数十億円かもしれませんが、それくらいの金額に麻痺してしまって、これだけの増加したお金があればどれだけの人を助けられるのかと言うような疑問も感じずに、粛々と積み上げ、実行して行った結果だったのでしょう。もし自分のお金を使うとなったら、そのような進め方が出来たのでしょうか。政治家や官僚はよく血税という言い方を使いますが、国民の血の滲む労働の結果として稼がれたお金から徴取された税金であるという意味をわかって使っているのでしょうか。
かつて、当時の社会保険庁が年金を大規模保養施設などに投資し、結局失敗して、その施設をタダ同然で処分して大きな損失を出したことがありました。国民の老後を支える年金という公金を湯水のように使った行為も、他人様の金なら平気で使うという習性そのものでした。例を数え上げればきりがありません。
確かに企業でも会社の金だからと湯水のように使った例もあり、このような事例は人間の悲しい性(さが)が為す技なのでしょうか。しかし、やはり税金、年金など公金は特別なものとして大事に使ってもらいたいものです。その為には、役人は国民、市民の為の仕事をするという本分を忘れずに、税金も年金も国民の血から成るものだと再認識して、大きな組織の単なる歯車になって与えられた仕事を単にこなすようなことではなく、真摯に仕事に取り組んでもらいたいと思います。