梅雨が明け毎日猛暑が続いています。その中を散歩していますと、灼熱の太陽を避けて、いつの間にか自然と影の部分を探して歩いています。この季節には太陽が真上近くにあるので、建物の影は小さく、街中で影を見つけるのは難しい状況です。一方、街中を少し外れると、大きな影を提供してくれているのは何年もかけて大きく育った木々たちです。道に沿った並木のあるところは、まさしくオアシスのように、やさしく人間に涼しい影を与えてくれています。その恩恵は、いろいろな生物にも平等に恵みを与えてくれています。目を凝らせば鳥や昆虫も木々の影の範囲に潜んでいるのがわかります。自然の営みの凄さ、調和に感動せずにはおられません。何十億年もかけて、地球の中の自然が形作られて来て、その提供された環境に適応するように生物が生まれ、進化し、今日の地球があるのです。この大きな地球に抱かれて多種多様な生き物が生を営んでいるのです。人間と言っても、多くの生き物のひとつでしかありません。それにも関わらず、人間はいつの間にか、地球を支配していると勘違いして、いろいろ勝手な振る舞いを続けています。これも人間の多くが持っている自分本位の性格からかもしれません。宇宙の中、太陽系の地球というちっぽけな惑星に多くの生を授かっている生き物、そのひとつの人間というように俯瞰的に物事を見ることも重要だと思っています。そのように考えると、灼熱の太陽光線から身を守ってくれている木々のことも非常に感慨深く見ることができるようです。そのような思いに浸っていますと、「調和」ということがどれだけ重要であるかが理解できます。調和というバランスが保たれている状態がいろいろな生物にも、もちろん我々人間にも、平穏な生活をもたらしてくれます。逆に、調和を乱すことが多くの災禍につながっていくのです。もちろん、自然の中にも、地震、台風、異常気象など調和を崩すような大きな変化が度々起こっていますし、そのようなことに対処することも必要となっています。さらに、人間の行動によって調和を乱すことがさらに多く起こっているのも現実です。環境汚染などその典型でしょうね。さらに人間同士の争いも大きな災禍を生んでいます。新ハルモニア主義が、もっとも大切にしているのは、自然との調和、他人との調和です。その対極に近視眼的な利己主義があります。自分さえよければと考えることは、一時的な自己満足的な快楽をもたらしてはくれますが、本当の幸福感をもたらすことはないと思います。本当の幸福感は、自然、他人との調和の上に存在するものなのです。多くのひとが幸福感を感じてはじめて、自分自身の幸福感が得られるという考え方です。