酷暑の日々に、節電が叫ばれています。東日本大震災の後、長期的に日本の電力供給をどうしていくのかという難しい問題を先送りして来た政府の怠慢が生んだ状況だと言えると思います。震災前までは、原子力発電を中心に据えつつ、石炭火力発電などCO2を多く排出する発電を太陽光発電、風力発電などに置き換えていくというシナリオでしたが、福島第一原発の事故で見直しをせざるを得なくなっていました。原発の安全点検による停止で、緊急避難的に石炭火力発電を増やさざるを得なくなり、本来なら廃棄する予定の古い石炭火力発電も再稼働するなど苦肉の策でなんとか電力需要を賄ってきました。場当たり的な対応でお茶を濁してきたツケがここに来て露わになって来たのでしょう。
ロシアへの経済制裁の関係で、天然ガス、石炭を調達する点でも問題がありますし、今さら大々的に火力発電設備を新設することも難しいとなって、出詰まりの状態が続いています。しかし、このまま放置しておけば、今回のような電力不足の問題が常態化してしまうので、何らか国としての方向性を定めなければなりません。それこそ国民の意思を確認し、政府が道を作らなければなりません。我々国民も、無いものねだりばかりは出来ません。原発は核で危険、火力発電はCO2問題でどちらも駄目と言えば、水力、風力、太陽光発電だけで賄える電力は限られていますから、何十年も前の暮らしに戻ることを覚悟しなければなりません。
政府はこのようなことを総括して、国民にどの道を選ぶのかということを問わなければなりません。それが選挙だと思いますが。
私の個人的な考えを示しますと、地球環境に問題あって、且つ限りある資源をエネルギー源とする火力発電に新たに膨大な投資をしていくことは非常に非効率でありますので、火力発電はトーンダウンさせるのがいいと思っています。次に、原子力はどうでしょうか。確かに未だにはっきりしない廃棄物の問題、事故が起こったときの被害の大きさということを考えると、諸手を上げて原発がいいとは言えません。しかし、私自身は、限られた電気での生活をしたいとも思っていません。核アレルギーで毛嫌いするだけでは何も問題は解決しません。もし原発を全廃できたとしても、それ以上に危険な核爆弾が地球を何回も全滅させるだけの数が存在していることを考えますと、核の問題の核心はもっと複雑なのです。だからこそ、原発をきちんとコントロールして稼働させることも必要だと思います。福島第一原発の事故が起きるまで、日本の原子力発電は安全なのだと言う神話がありました。確かに非常に高い技術力を持っていました。その背景は、原子力技術は花形と言われ、大学の原子力工学科には優秀な人材が多く進んでいましたし、彼らは、東芝や日立という重電大手や電力会社に進み集中して技術の進展に打ち込むことが出来るコースが出来ていました。それなのに、どうして原発事故が起きてしまったのかということですが、事故調査報告を見ていますと、福島第一原発の電源設備の危険性については、技術者サイドからは何度も提言されていたらしいです。しかし、東電の経営陣は、政府が設定している津波の大きさを前提にすると問題ないということで、そのリスクに対応して来なかったことがこの事故につながったと思います。東電の経営陣や政府の幹部に、リスクマネージメントが長けていればこのような事故は防げたのではと思います。つまり、原子力というのは非常に有用な技術ではありますが、その反面、もし事故を起こしたら多大なる被害が起きるというものです。その前提で考えれば、通常の技術より、極端に安全サイドに対策しておくことが求められるのです。それでは過大な費用がかかると言われるかもしれませんが、事故が起きた場合の被害と比較すれば、対策に少々お金がかかってもしょうがないのです。事故前の東電はそれくらいの費用は何とかなるくらいに財務的にも良好な会社だったのです。それに、原発は、既に多大な投資が終わって、すぐに新設する必要もなさそうですし、既存の設備をうまく活用するだけで大きな電力供給が可能なのです。もちろん、それらの設備の再稼働には、極端な安全サイドに立った対策を実施したものであることが条件です。さらに、核廃棄物の処分についても、きちんとした計画を示すことも必須だと思います。また、原発の再稼働で当面の電力需要を満たしている間に、再生可能エネルギーによる発電技術開発に重点投資していくのです。
これはあくまで私の私見です。政府はこのような具体的な展開を国民の声を反映しつつ、明確に示していただきたいと思います。