これまで、大きな苦しみ、悲しみに打ち勝って幸福になるためにどのような考え方をするべきかを少しづつ述べて来ました。そのへんをもう少し深堀りしたいと思います。
すべての人は、長い人生を送る中で、大なり小なり何をしてもうまく行かないと言うような経験をしていると思います(自分だけ不幸で、他人は幸せだと考えるひともいると思いますが、ほとんどすべてのひとは非常に苦しいときを経験しているものです)。問題は、そこでどのように考え、行動するかで、その後の人生が大きく変わって来ると言うことです。まず大きく二つの認識にまとめられると思います。ひとつは、そのような境遇になったのは、自分自身の能力ややり方に問題があったと考える自責派と自分はちゃんとやっているのだが、他人や政治、政府、会社などに問題があると考える他責派です。さらに自責派には、二種類あって、自分は駄目だと自分自身を否定するタイプと、自分の能力のどこが弱かったのか、自分のやり方のどこが悪かったのかを検証し、そのことをベースに弱点をどう補うべきか新たなやり方を発案し実行するタイプです。大別してこれらの三つのタイプがあります。
責任をすべて他者や社会、政府、政治、会社などにあるとするタイプは、それらを恨んだり、憎んだり、妬んだりします。そして自暴自棄になるくらいまで落ち込んだ者は恨みの対象となるものへの攻撃を正当だと思いこむようになります。社会を恨んだりするものは、無差別に一般の人達を傷つけたりすることもあります。次に、自分自身が駄目であると自暴自棄になったものは、究極は、自殺を考えるようになり、場合によっては自死覚悟で他人を巻き込んで事件を起こすケースもあります。これらの二つのタイプはいずれにせよ悲劇的な結末を迎えることになります。一方、自分の能力不足ややり方に問題があると認識したものは必要な能力をどう補うかさらに努力を重ねたり、どんなやり方をすればよかったのか考察して、新たなやり方を探し、再トライしたりします。もうお判りだと思いますが、最後のタイプが幸せな人生をおくることに対して一番可能性の高いひとです。
つまり、人生の袋小路に迷い込んだ時、そこを突破するには、他を恨んだり、自分は駄目だと諦めたりすることではなく、なんとかその難局を正当に乗り切ろうと考えるのが重要なのです。一旦冷静になって事態を分析して見ますと、いろいろな原因や問題点が浮かび上がって来ます。そうするとその解決法が浮かんでくるものです。なかなか浮かばないときは、関係あることを勉強したり、信頼できる人に相談するのもいいですね。もし、信頼すべきひとがいなければ、過去の偉人の遺した本を読んだりするのも手掛かりになります。見つけ出したいポイントは、どんな小さなことでも改善の方向に導いてくれそうな事を必死で追い求めるのです。その微かな光の方向に一歩一歩と歩みを進めていくのです。希望を持って。そのような歩みで、かつてはどうしようもないと感じたことが少しでも改善されて行けば、さらに道は拓けていくのです。そして最初微かだった光が段々と鮮明に見えてくるものです。そういうときに、必ず救いの手というものも差し出されます。物事は自分で考えた通りにはならないのも事実ですが、自分でこうだと決めつけた通りとは異なる意外な展開を見せるのも事実です。だから、最大に落ち込んだときにすべてを決めつけないでください。今後、どう転がっていくかは、前に進まない限り判らないのです。
諦めないで前向きの姿勢を貫くことが幸せな未来につながっているのです。