安倍元総理を殺害した犯人が書いた手紙やSNSの投稿が多数報道されています。内容を見ますと、ある程度知的な文章であると見受けられます。彼の母や旧統一教会への心情、安倍元総理への思いなど、いろいろと調べたり、深く考えたりした跡が伺えます。

 しかし、本人は自分の考え方に自信があり、その求める結論がこれしかないというような流れを示そうとしていますが、やはり狭い視野の中の独りよがりの結論のように感じました。確かに彼が置かれた境遇は悲惨なもので同情を禁じえませんが、そうだからと言って、今回の行動を正当化することは出来ないと思います。

 旧統一教会の活動は確かに大きな問題であると思いますし、政治家との癒着についても放置してはいけないと思います。しかし、そのことを世間に知らしめ、糾弾したいと言うことは理解できますが、その為に選んだ手段が間違っていると思います。もう少し調べれば、旧統一教会の被害者を支援する弁護士らの団体が存在し、そこに話を待ちこんでいれば、合法的な方法が浮かんだかもしれません。百歩譲って、それでは世間から注目される度合いが低いと言うのであれば、殺人や傷害というようなことだけは避けることでも、社会から注目されるような手段はあったと思います。

 独善に陥ると、自分の行動を正当化し、その行動の巻き添えになる者があっても、犠牲者として仕方のないものだと判断してしまうのです。今回は不幸中の幸いで、安倍元総理以外に被害者は出なかったですが、回りの人達や一般の聴衆に流れ弾が命中する可能性はかなり高かったと思います。本人は第三者をなるべく巻き込みたくないように配慮したと語っていたと言うことですが、その気持ちはあったとしても、状況を見ますと完全に危険性を排除していた計画とは思えませんので、もし巻き込んだとしたら仕方ないと思っていたと判断せざるを得ません。その考えも自身の行動が正しいから犠牲者も止む無しとする典型的な独善的考え方を示しています。

 幼い頃から彼が経験した事は本当に悲惨なことでした。そこから抜け出そうといろいろと苦労したことも判ります。しかし、旧統一教会が彼の人生をすべて壊したと彼が判断したのは残念です。そうではなく、彼の人生はそんな酷い輩に壊されるほど弱いものではないことに考えが及んでいたらと思います。「統一教会ごときに自分の大事な人生を壊されてたまるか」と言った視点があれば、彼にはもっと幸せになれる違う道が存在したと思います。

投稿者

弱虫語り部

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