故安倍元総理が凶弾に倒れたときに、多くの政治家が民主主義の危機を叫んでいました。しかし、その後の参議院選挙前後の政治家の発言を聞いていますと、本当に民主主義を理解しているのか疑問になります。
もしかしたら、「民主主義とは数の力で物事を決めていくのだ」と思われている政治家が結構おられるようです。確かに選挙は投票数で当落が決まります。多くの国民が投票した人が国民の代表として議員の活動をすることが出来るのです。しかし、そこで終わったら民主主義とは言えないのです。国民の意見も千差万別ありますし、課題毎、政策毎によっては、投票した政党の、ましてや候補者の主張をすべて支持している訳でもありません。この課題については、A党もしくはC候補がいい、しかし別の課題についてはB党もしくはD候補がいいと言うこともよくありますが、そこはいろいろと総合的に熟慮した上でA党にもしくはC候補に投票したのです。それなのに、当選議員数が確定したら、自民党が数が多いから盤石だとか、どこそこの党は当選議員数が減ったから駄目だとか単純な発想が横行しています。
本来の民主主義は、本当に国民が望むものに近い政策は何かの声に真剣に耳を傾けて、それに対してどのような具体策をしたら良いか、与党も野党もその観点を持って真剣に議論しあい、その中から最も最適な政策を選んで行くものなのです。それなのに、勝った方は、国民から信任された、野党の意見などいっさい聞かないなどと勘違いするのです。自民党の策にすべて賛成だと全幅の信頼を寄せているひとは少ないのではないでしょうか。あくまで、相対的に、総合的にまだましだと選択したひとも多数いたのではないでしょうか。そのような国民の声も考慮して、国会で前向きな議論をして欲しいのです。
このような状況を見ていますと、本当に二院制である必要はあるのか、これだけ多数の議員が必要なのかと疑問になります。二院制は、偏った意見で政策が決まらないように、いろいろな経験、能力を持った人達が、多面的な切り口から意見を交わし合う為にある制度だと思います。また議員の人数も、できるだけいろいろな意見を持った国民の声を国会の場に上げられ、少数意見であっても良いものは掬い上げられる為にこれだけ多くの議員が必要だと思うのですが、現在の議員達の状況では、それらの理念は全く忘れさられているのではないのでしょうか。つまり、本来の目的を果たしていない以上、参院も多数の議員も必要ないということになります。
国会で所属政党に賛成する一票を投じる為だけに議会の椅子に居眠りをして座っている議員など必要ありません。