故安倍元総理と旧統一教会の関係が取り沙汰されたのをきっかけに、宗教と政治の関係が問題視されています。その中で、多くの政治家と旧統一教会との関わりが明らかになって来ました。多くは、関係団体からの寄付、関係団体への賛助金支払いや会合へのメッセージ投稿などの事実は認めていますが、特に強い結びつきは無い、便宜を図った事も無いと、違法な関係を否定しています。しかし、そもそも旧統一教会側も何の見返りも求めずに、集票したり、選挙協力したりするものでしょうか。
政治家側は、まとまった票は喉から手が出るほど欲しいものですし、ましてや、接戦が予想される候補者にとっては、当落を決定づける票かもしれません。それだから、旧統一教会という今日にあって余り聞こえの良くない団体の関係でも、そこに頼ってしまわざるを得ないのでしょう。それが今回のようにスポットライトが当たった途端、証拠のある事実は認めても、それ以上は知らぬ存ぜぬを押し通すとは欺瞞と呼ぶしかありませんが、残念ながらきちんとした証拠が無い以上、またもやこのダンマリにしてやられてしまうのでしょう。
政治家の嘘は今ここに始まったばかりではありませんが、彼らは、決定的な証拠が無い場合は断固と欺瞞を押し通すのです。
我々有権者が出来ることは、このような欺瞞を如何に見破り、それを選挙で、そのような疑惑のある政治家に二度と投票しないということです。彼らは国民を見下しています。いっときの疑惑も、時間が経てば忘れ去られると思っているのです。だから、厚顔を押し通すことが最善の策だと思い続けているのです。
そのようなやり方は通用しないと言う事を、明確に示さないといけません。それが選挙での国民の意思であると。