ウクライナでの戦争は終結する気配も無くいつまで続くか不透明で、心痛みます。
一時ロシアに占拠されていた東部の街で生き残った方達の証言を聞いていますと、戦争の実態を思い知らされ、その恐ろしさに驚愕するばかりです。
特に印象に残ったのは、ウクライナの民間人の犠牲者数はロシア軍に攻撃されていたときより、戦闘が一時終わり、占拠されてからの方が圧倒的に多かったということです。つまり、占拠後に無力な一般人に対して、無意味な多くの殺戮が行われたということです。
戦争が絶対的な悪だと主張しています訳は、人間が長い時間かけて築いてきた倫理観というものが戦争により簡単に覆ることです。生き残ったウクライナ人の証言では、街を占拠したロシア兵が家々に侵入し、虫けらのように殺戮を繰り返し、近所の住人はほとんど殺されたということ、殺戮の前、家に侵入した兵士が、「お前を殺しても俺は罪に問われないんだ」と民間人を脅していたという事です。このようなことを平気で言うひとは、DEタイプの人と思われます。このような異常な状況を楽しむように、平気で悪行を重ねるのです。平時であれば、悪事が裁かれるので、悪心を押し殺して生活していますが、一旦、戦場に解き放たれれば何をしでかすかわかりません。DEタイプの人が先陣を切れば、戦闘に疲れて正常な意識を持たなくなっているWEタイプの人も後をつないでいき、その連鎖でこのような悪夢が現実のものとなると思われます。もし運よくAEタイプの人がその部隊の最上位の軍人でいたら、このような殺戮は止まるかもしれませんが、それ以外のシチュエーションでは無理だろうと思います。
国際法というものがあり、このような戦争犯罪を禁止していますが、実際の戦争の中で、これが通用することはあまりありません。ロシアの撤退以降、国際的な関連機関などが証拠を集めて裁判にかけようとはしていますが、もし犯人を特定できたとしても、ロシアは犯人引き渡しを拒否するでしょう。ロシアが完全に敗戦した場合でしか、戦争犯罪は裁くことができないのが現実です。
人類は、ならず者により、幾多の惨劇を経験して来ました。それに対抗して法治国家が生まれ、殺人などの犯罪も厳しく裁くことによって、殺戮を防止して来たのですが、こと戦争というシチュエーションの中では、未だにならず者が我が物顔に犯罪を重ねることが出来るのです。我々に残された大きな課題は、いかにして戦争を無くすかということなのです。
しかし、世界全体を見渡しますと戦争の種は多数存在しています。もともと一般庶民にとって戦争は悲劇以外何物でもありません。それなのに戦争が起きるのはなぜでしょうか。祖国、愛国心、宗教への信心、主義主張を守る為と、戦争を正当化する理由に使われますが、本当のところは、権力、富を独占している一部の人間が、自分の権力、富を守るために、建前として、愛国、信心、主義を前面に立てて、民衆を扇動して戦争に駆り立てるのが真実なのです。
国民、一般民衆が騙され続けてきたのです。もちろん、権力者達はしたたかです。幼い頃から意図的に特定の国を恨むように教育したりもします。政治の仕方が悪いのに、他国や、他宗教、他主義者が悪いからと問題をすり替えたりもします。
このような権力者の下に暮らす人々は本当に不幸ですが、そのことも気付かずに暮らしている人も多く存在しているのも現実です。一部、気付くひとがいても、権力者は法律で、そのようなひとの思想、活動を禁止し、罰するのです。
前述したように、教育やプロパガンダにより、人々を洗脳しているので、国民が真実を理解するのは容易くはないのです。これを打破するのは、正しい情報が世界のどこでも流通できる世の中になることです。世界のどこにいても、公平な教育を受けることができるようにならなければなりません。その為の科学技術の進歩が待たれるのです。