現在の世界において、その人口比でカウントしますと、民主主義国家に住んでいる人は約三割にしかならないそうです。残り約七割は、一党独裁などの独裁国家に住んでいることになります(中国一国でも人口比で世界の約18%になります)。
第二次世界大戦が終結し、世界は自由主義を標榜する民主主義国家と社会主義、共産主義を唱える独裁国家に二分され、植民地であったアフリカなどでは新たに独立国家が立ち上げりました。我々民主主義国家に住むものは、いずれは民主主義が拡大していくのではと思っていました。特に、旧ソ連が崩壊した時点で、独裁国家であった東欧諸国も民主主義国家に変わって行く過程を見ていましたので、その流れは変わらないのではと信じていたのです。それなのに、このような事態はどうしてなのでしょうか。私の見解は、現在民主主義だと言われている国においても、本当の意味においての民主主義ではなく、未熟な民主主義だからだと思います。特に、民主主義が導入されると自由経済主義、資本主義と言う自由競争経済が同時に進行していったからだと思いますが、自由競争の中で起こったことは、多くの富を保有する資本家と、労働の産物を資本家に搾取される多くの一般庶民と言う構図が出来上がったのです。そしてその資本家を操るほどの権力を保有する一部の特権階級が生み出されて行ったのです。このような格差社会を真の民主主義国家と呼べるのでしょうか。表面的には、政権のトップや国民を代表する議員は選挙によって選出されてはいますが、日本を含むほとんどの国は、選挙で当選する為には特別な条件を満たすものでないとなれない為、権力も富も一部の特権階級にほぼ独占されていると言っても過言ではありません。
民主主義と言っても、多大な格差を是正することがなければ、民衆に貧困が拡がり、いずれはまた独裁的な政権を許容してしまう世論が形成されて行くのです。
それでは、どのような姿を目指せば、成熟した民主主義国家になれるのでしょうか。例えば、スイスのような国全体が豊かであるケースや、北欧のような、弱者と言われる層でもある程度豊かに生活できるような社会福祉システムを備えているケースなどがお手本になるかもしれません。もちろん、長い年月で形成された文化や歴史も異なる訳で、そのままお手本にはならないかもしれませんので、日本人のメンタリティに合うようなやり方を考えないといけないとは思います。そのような前提に立ち、新ハルモニア主義というものを考えたのです。このブログの1.~15.にまとめていますので、読んでおられない方は、是非一読していただきたいと思います。