昭和20年の夏に、広島と長崎に原子爆弾が投下され、恐ろしい被害を受けました。その悲惨さは、筆舌に表わすことが出来ない程のものですが、決して忘れてはいけないことだと思います。米国の歴史では、戦争を早期に終了させ、自国民の被害を最少にする為だなどと大義が語られていますが、原爆投下に関係した人々の中でもその惨たらしい被害を知って、間違いであったと振り返る人もあると聞いています。それが、人間としての素直な感情だと思います。

 私自身はまずもって、これまでも度々述べて来ましたように、戦争というものを全否定しています。それは、人を殺戮しても罪に問われないという状況は本質的に間違っているからです。さらに、そのような異常な環境の中では、人間性が否定され、通常では悪と呼ばれる行為がまかり通ってしまうからです。

 百歩譲って、他国から侵略された場合に限っては、防衛という軍事行動を起こさざるを得ないとは思います。それでも、違法な侵略であった場合は、全世界的に侵略された国を支援することで、一刻も早く戦争を終結させる必要があります。そして、紛争についての話し合いでの協議をして、解決すべきだと思います。


 それでは、今回のウクライナへのロシアの侵略はどうなのでしょうか。まずは、ロシアがその理由がもし正しいとしても、いきなり軍事行動を実施することは間違っていると思います。何らかな話し合いでの解決に努めなければならなかったと思います。二国間でのやりとりでは、どうにもならなかった場合でも、第三国、国連の仲介により話し合うことで解決を図れたと思います。この段階で解決することが一番重要なのです。

 しかし、実際、ロシアは話し合いでは埒があかないと勝手に判断し、軍事的侵略行為に出たのです。当然、多くの国々はロシアの行動を非難し、経済制裁を科すことになりました。しかし、ここまで来ましたら、戦争というものは中々終われなくなるのです。つまり、振り上げた拳を簡単に下ろすことは、大統領の沽券にかかわるからです。言い方を変えれば、自国民からの支持が減少することを恐れているのです。それで、戦争は長期化してしまったのです。

 この均衡状態を打破するには、一方が顕著に軍事的優位を勝ち取らないといけませんが、ウクライナにとっては、NATOからの強力な武器の支援がその鍵を握っています。もしくは、NATOの直接的な軍事行動です。もし、それが起こればロシア軍の敗北は決定的になると思います。そのような事態を避けたいロシアは伝家の宝刀である核兵器を使用すると脅して、NATOの参戦をくい止めているのです。結局、ウクライナとしては、NATOからの武器供与に頼るしかないのです。それでも、欧米の最新兵器がロシア軍に大きな被害を与え続ければ、ロシアは撤退せざるを得なくなるかもしれませんが、プーチン大統領としては、そのような事態になり、自身の地位が揺らぐようになるのであれば、核兵器の使用を決断しかねないというのが、最も悲劇的なシナリオなのです。

 冒頭で示しましたように、核攻撃での悲惨さは尋常ではありませんし、もしも偶発的にでも、核ミサイルの撃ち合いにでもなれば、地球は滅亡に近い被害が出る可能性もあります。これらの想定を思い浮かべれば、心ある指導者であれば、核の使用は思い止まり、話し合いに活路を求めるものと思います。しかし、プーチン大統領はどうなのでしょうか。自身の地位を失うのであれば、敢えて核戦争による破滅も選択する人間であれば、それが一番恐ろしいことなのです。少し前のブログで、ひとりの独裁者の判断で核ミサイルを発射できるシステムは変えるべきと述べましたが、まさにその危機が目の前に存在しているのです。

 たったひとりの人間が地球を壊滅させ、人類を滅ぼすことができるスイッチを手にしていることは、自分を神であると錯覚するかもしれません。しかし、どんな地位の高い人間であろうが、たかが一介の人間でしかないのです、絶対、人類を滅ぼすスイッチなどあってはならないのです。そのことを謙虚にとらえ、今回は人類滅亡の危機から救った英雄ということで満足し、退場してもらいたいのです。

 

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)