議員の世襲が横行していることはこれまで幾度と述べて来ました。最近、旧統一教会の話題の中で、教祖の選択で、合同結婚式で結婚し、その後、子供が生まれて、その子が二世信者と呼ばれていることを知りました。この二世達は、旧統一教会では、神の子として祝福されているそうですが、この子達が成長し、様々な問題を抱えていることも報道されていました。
 
 議員の子供として生まれ、二世議員として優越的な地位を獲得している人もいれば、旧統一教会の信者の子として生まれ、献金などで生活を壊されて来た二世信者もいるのです。対照的な二世同士ですが、彼らが選挙期間中に、候補者と運動員として出会うこともあったのでしょう。一方は当選して議員として脚光を浴び、片や黒子として誰にも知られずに選挙運動を終えることになります。

 生まれつき特定の宗教を信じなくてはならなくて、稼ぎの多くは献金し、生活に追われても、信仰が彼らを本当に幸せにしてくれているのでしょうか。確かに信仰の自由は守られなくてはならないと思いますが、親から強制されるのは、本当の信仰と言っていいのでしょうか。子供には子供の信仰の自由が守られるべきで、そうでなければ、信仰の自由を奪っていると言っていいのではないでしょうか。つまり、そのような親や教団は憲法違反として罰せられるのが本当ではないかと思います。

 信仰の自由とは、自分自身の信ずるものに対しての信仰は誰からもどんな権力からも守られなければなりません。且つ、誰に対しても、信仰の強制をしてはいけないのです。この本質を理解して、政府もいろいろな宗教問題への対応をきちんとしてもらいたいと思います。

投稿者

弱虫語り部

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