旧統一教会の田中会長の記者会見を見ました。テレビなどで報道されていますように、自分達の正当性を強く主張するばかりで、皆が聞きたいような本質に迫った話はありませんでした。私が強く感じたことは、彼には、この団体ありきで、そこに関わる人達への気持ちが全く感じられなかったと言うことです。
私の考える宗教とは、人間の心を少しでも安らかにするものだと思っています。信仰の対象は信じたいと願っているひとが信じられるものであれば、どんなものでもいいのです。その信仰により、本人の心に救いを与えるのであれば、それでいいと思います。そのような信仰であれば、他人に害を為さないという限り、誰も邪魔することは出来ないと思います。そう言う観点で、憲法でも、信仰の自由が認められているのだと思います。
しかし、歴史を見ますと、ひとの信仰心を利用して、その団体、もしくは一部の人間が、富を得たり、権力を得たりしようとすることが数多存在していました。今回の旧統一教会の例でも、お金は不浄のものであり、それを身に着けていると地獄に落ちるというような冷静に考えれば脅しとも言えるようなことで、団体への献金を強く指導しています。田中会長は、安倍元総理の事件後すぐの会見では、あるときから、献金を強制していない、信者自身の意思で献金は行われているのだと述べていたそのすぐ後に、信者への説話で、献金は最も大切なことだと涙ながらに訴えていたのとの対比に愕然としたものでした。どう見ても信者が自主的に献金しているのではなく、幹部が強く訴えて献金を誘導しているとしか見られませんでした。そして、この方は、場が違えば、平気で異なることを言える人なのだと思いました。
私の考える宗教は、人の心を安らげるものであると言いましたが、旧統一教会のやり方は、人に恐れを与え、そこから救い出してやるから、献金しなさいと言っているのです。過去の宗教家を見れば、徳の高い方は、頼って来る信者を脅したりはしないで、人間の弱さも含めすべてを受け入れ、人間としての価値を認め、優しく包み込んで、その信者の心を救っている場合が多かったと思います。もし、何かにすがりたいと考えているひとは、是非、この点を忘れないで、信仰の対象を見つけてください。あなたの不幸な現状は、あなたの宗教心の不味さにあり、それを改善したいのであれば、何かを買ったり、お金を献金すべきと言うような宗教には気を付けてください。
ひとは、不幸のどん底に落ちたようなとき、何かにすがりつかないと生きていけないと思います。一方、ひとの信仰心を利用して、富や権力を集めようとする人達も多くいます。そのような人達にとって、どん底に落ちたひとほどコントロールしやすいものはないのです。いっときであれば、救いに感じることを見せることも容易いのです。しかし、そのような救いは長続きしませんし、新たな不幸の種を蒔くばかりです。しかし、一旦信じ込むと冷静になって物を見られなくなるものですから、なかなかこの状態から抜け出せないのです。
田中会長が真の宗教家だと言われるのなら、被害にあった元信者や二世信者の苦しみに真正面から対峙し、彼らを救い出すことに全霊を傾けてください。それが出来ないのであれば、やはり、教祖に従えた優秀な集金マシーンでしかないのでしょう。