以前、リーダー論の中で、グループ全体のことより自身の欲求を満たすことを優先するボスの話をしましたが、そういうタイプのひとがボスとして、長い年月、そのグループに君臨していますと、回りはイエスマンばかりで固められ(逆らうものは排除されるからですが)、そのボスに権力が集中することになり、やりたい放題の状態が生まれていくのです。ボスの腹心は、ボスの言いなりではありますが、ボスの威を借りて、自分の下のものには高圧的に接し、中にはパワハラを起こすこともあります。最近、このような構図が、日本最大の私立大学や、地方の自民党地区連でも見られます。ボスは何でも自分の思いのまま出来るので、自分があたかも皇帝であると勘違いし、民主主義やビジネスのルールを都合よく解釈して、犯罪を犯すことになります。
 このようなボスを生まないようにするには、グループのトップにはその地位に長期間留まれないようなルールを作り、また、第三者の管理体制を引くことが求められます。そのような体制が最低限の策ですが、DEタイプのひとだと、その網をくぐってしまうことを考えるでしょうから、リーダーを選ぶ方法で、そのようなボスが選ばれないようにすることが必要です。公的な選挙については、以前、お話しましたが、企業やいろいろな団体では、リーダー、幹部を選ぶ方法、その権限、権力の内容など、さらに不透明なものが多く、そのルールさえ、悪意のあるボスにかかれば、恣意的に運用されてしまうのです。このような組織、体制の中では、善意あるひとびとが苦渋を虐げられることが多くあり、学校で習った道徳がいかに綺麗事であるかがわかります。結局、政治の世界と同じく、企業や団体でも、そのルールは自分達で決めているので、ボスが自分の首を絞めるような改革をすることはありません。むしろ、自分に都合良く、ルールを変えていくことが多いのです。
 結論として、どんな組織であろうと、リーダーを選んだり、その権限の内容、及ぶ範囲を決めるルールは、権力を持っていないひとびとが決めることが最大のポイントなのです。

投稿者

弱虫語り部

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