またまた無差別に凶器で人を傷つける事件が起こりました。犯人は、自分の母を殺そうと思っていて、母を殺すと弟は悲しむだろうから弟も殺すつもりで、本当に人を殺せるか予行演習の為に見ず知らずの母子を襲ったということだそうです。なぜ犯人がこのような考えをするように至った経緯は不明ですが、母と余程の確執があったとは推察できます。しかし、どんな事情があったにせよ、母を殺したいと考えたことはあまりに刹那的ですし、弟が悲しむから弟も殺すとはなんと短絡的ですし、ましてや、見ず知らずの何の責任も無い他人を殺しの練習で、実行するとは、他人の痛みを顧みようともしない非常に自分本位な行動でしかありません。その人達の命の尊さに何も考えが及ばない、自分の目的にしか頭にない恐ろしい行動です。もしも自分自身が反対の立場で、突然見ず知らずの人に刃物で切り付けられたらどれだけの恐怖とあまりの理不尽さに崩れ落ちるのではないでしょうか。
最近、無差別殺人や死刑になりたいから見ず知らずの人を殺そうとしたと言った事件が度重なっているように思います。人を殺すということ自体も、決して許されるものではありませんが、ましてや全く見ず知らずの他人を身勝手な理由で殺傷するなど、全く許されることではありません。しかし、事実としてそう言う人が存在するのです。このような考え方をする人は幸せになれませんし、関わりのあった周りのひとをも不幸に落としてしまうのです。
ひとは生きていけば、非常に辛く悲しいことに打ちのめされることもあると思います。しかし、そのときにどのような考え方をし、行動するかで、幸せになれるかなれないのかが決まるような気がします。今はどんなに悲惨な状態でも、このまま終わらない、きっと幸せになってみせると言うような前向きな考え方ができるかどうかで、その先の人生が大きく変わるものです。悲惨な状態に陥ったときに、もう自分の人生はこれで終わりだと感じてしまうと、自暴自棄となり、他人のことなどどうでもよくなるのではないでしょうか。そのような行動で自分の人生をさらに谷底に落としてしまうとは気付かないのです。逆に、自分の人生、こんな酷い目に合うことだけで終わってしまう訳はない。きっと将来どこかで幸せになれると考えれば、他人にも優しくなれるのです。皆さんも、是非、このことを覚えていてください。
もう一点大事なことは、そのような悲惨な状況に陥ったときに、相談できるひとがいるかということです。人間、ひとりで考えを巡らせていると、視野がどんどん狭くなって行ってしまうものです。それで、他人の身になって考えるということが出来なくなってしまうのです。そのときに誰かに相談すれば、いろいろな角度で物事を見るようなアドバイスをしてもらえると思います。独りよがりの考え方を改めるチャンスとなるのです。
友達を多く作る必要はありませんが、一人でもいいのです、自分の心をさらけ出せるひとを作っておくべきです。今はそう言うひとがいない場合は、電話やネットでつながる心の相談室にアクセスを試みてください。一番恐ろしいのは独りよがりに陥ることなのですから。