NHKで、ある場所を72時間定点観測し、そこを訪れる人々にインタビューする番組のスペシャルで、これまでの放送した回の視聴者からの投票でベストテンを発表し、それを再放送したものを見ました。三位になったのは、海の見える老人ホームの話でした。60代から90代の人達が、四百数十人暮らしているそうですが、様々な人間模様が伺えました。皆さん仕事も退職し悠々自適に暮らしておられるのですが、人によって感想は異なります。今が一番幸せだと言われるひと、若い頃がよかった、今は駄目だと言われるひと、どちらもそれでも生きていかなくてはならないのです。確かに、体力的には若い頃がいいのは間違いないのですが、年齢を重ね、衰えはあっても、その現実を認めて、そのありのままの自分を肯定し、幸せと言えることが、私は羨ましいと思いました。戦争や事故や事件で殺されることは非常に不幸なことに違いありませんが、運良く天寿を全うできた上での死はこれはどんな権力者であろうが、お金持ちであろうが、等しく訪れる運命です。その運命を肯定し、それまでの暮らしの中で幸せを感じることが出来ればいいなあと思います。反対に、年を重ね、体力も衰え、頭も呆けて、その先に死が待っているなんて、こんな不幸なことはないと考えてしまうひとには、なかなか幸せを感じることはできないと思います。
死がすべてのゴールだと考えると、幸せなひとはひとりもいなくなってしまいます。そうではなく、我々人間がこの世に生を授けられて、成長し、人生を過ごしていくことの中に幸せはいろいろと存在するのだと思うことが大切だと思います。ひとが老化して最後に死を迎えるのは、自分達が築き上げたことをさらに発展させる為に、後進に道を譲るための生物としてのシステムなのです。リーダー論でも述べていますように、人間はいくら優れたひとでも、その地位に長く留まり続けている間に、驕りや勘違いを起こすものなので、それを回避する為に、新陳代謝が必要なのです。そのような流れをよく理解すれば、死は有限という時間を規定する仕組みのひとつと理解できます。その有限のときをどう生きるのかということで、幸せを演出できるものなのです。
若いときにはそのときでしか感じられないような幸せがあり、年老いたときにも死と言うタイムアップまでの時間内であれば、またそのときでしか感じられない幸せが存在するのです。人間がすべてそのような森羅万象の中で各自ひとりひとりのお互いの幸せを認めつつ、自分特有の幸せのものさしを定めて、幸せを追い求めていくことが理想だと思います。