テレビで日本書記について語られる番組がありました。日本書記は天武天皇が命じて編纂(へんさん)された漢文の歴史書であり、神代の時代から第41代持統天皇までを表したものであります。天武天皇側に立った書であったので、脚色されている部分も多いと見られていますが、いずれにせよ、天皇家のルーツから、蘇我氏など有力な豪族との権力闘争などを経て、天皇家がどのように権力を掌握して言ったかと言う話ではと理解しています。この時代は、天皇家のメンバーが自ら武力を行使して、権力を手中に収めています。一方、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、同じようなドロドロした権力争いが描かれていますが、この頃は天皇家は自身で武力を使うことなく、その役目が武士に任されていまして、武力闘争は穢れ(けがれ)たものとして、高貴な天皇家、貴族は直接行わないようになっていました。

 このような歴史から見えて来ることは、ひとつは、国を統治するものは、激しい武力闘争に勝ち抜いて来た者達であったこと、さらに、戦争の悲惨さを避けたい天皇家、貴族はその危険な部分を武士に肩代わりさせ、代わりに彼らの地位、所領を認めて、いわば皇族の軍隊として支配しようと考えていましたが、この時代の最大の力は権威よりは軍事力であったので、鎌倉時代以降、武士政権が実質的な支配を為して行ったのです。最後は武力で片を付けるのが慣わしでありましたが、その悲惨さからは逃れたいというのも人間の正直な気持ちだったのでしょう。

 その当時の天皇家、貴族は権力の頂点に立つと、戦争と言う殺し合いを穢れとして避けはしたいが、武力が無ければ武力で倒されてしまうというジレンマに陥っていました。結局は武力を握っている武家政権には敵わないことになって行ったのです。

 明治維新で、天皇の下に政府、軍事力全権が集められましたが、それでも、いずれは軍部の暴走を止めることは出来ずに、太平洋戦争に突入してしまったのです。

 敗戦の後、戦争放棄、国民主権を明記した新憲法が制定されました。これはそれまでの長い戦いの歴史にピリオドを打つ画期的なものでしたが、実際は全世界の国々全部が戦争を放棄しない限り、一国だけの憲法で平和を守ることが出来ないのです。平安時代以降の貴族が陥った「戦争は嫌だが武力が無ければ誰が守るのか」と言うジレンマと似ています。

 武力が権利や富を手っ取り早く握る手段であると考える人間が存在する以上、このジレンマが続くのです。これにピリオドを打つには、人間の考え方を根本的にあらためるしかありません。

 相田みつをさんが残しておられる次の言葉がその考え方の根幹だと思います。
「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる。うばい合えば憎しみ、わけ合えば安らぎ」
 権力や富を奪い合うと武力、戦争が必要ですが、分け合えば武力、戦争は必要ではないのです。この精神こそ、政治を司るものの基本です。国内の政策でも、海外との外交でも。

投稿者

弱虫語り部

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