未だに性的マイノリティLGBTについて、いろいろな問題が報道されています。栃木県下野市の議会の一般答弁で、「LGBTのひとは静かに隠して生きた方が美しい、このような事に制度を設けて社会で認めさせるということに疑問を持っている」との議員の発言が問題になっています。この発言の背景に、「神は男女を区別して創造されたのでそれに逆らうのはいけない。」というその議員の宗教的信条があるのではと推察されます。
ひとがどのような宗教を信じるかは自由であると思いますが、私自身の科学的信条から申し上げますと、生物学、遺伝学では、生物の多様性は非常に複雑なものです。雄雌の区別も、それぞれの生物の生存戦略で多様な形態が見られます。人間のように生まれついた時点で雄雌が決定されるものもいれば、環境によって同一個体で雄雌の変異が起こるものもあります。また、そのような営みをコントロールしています遺伝子も常に固定的なものではなく、遺伝子の中での変異によって、あらたな形態を持った新種が生まれるのも、新しい環境に適応する為の生存戦略の一環であります。人間の男女の中に、LGBTの人達が存在するのも、遺伝子レベルでの何らかの偶然の変異によるものか、環境によるものかは分かりませんが、私は、何らかの意味があるのではと思っています。私自身は世界や人類の創造者としての神の存在には否定的ですが、これまで述べて来ましたような大自然の創造が何らかの力の方向で定められていることについては、可能性があると思っています。つまり、他の生物種に比べ、非常に多く繁栄した人類には、何か自然のバランスをとる方向の力が、遺伝子の中にプログラムされているかもしれないとは考えられると思います。または、もっと単純に、新しい環境に適応させる為に、いろいろな種類の人類を、偶然の遺伝子変異によって生み出しているのかもしれないとも感じています。
いずれにしても、LGBTとして生まれた人達も、自然の中の正当な命だと思います。だから、その存在を隠す必要もなく、すべての人類の普通の仲間として処遇するのは当然と思います。
(少子化問題に関連させて、LGBT問題を語るひともいますが、私は少子化が何が何でも悪いとは思っていません。これについては、「20. 少子化問題への本質的な考え方」に私の考えを示していますので、そちらにも目を通していただければと思います。)
私のこのような考え方から言えることは、他人を自分と違うからと差別したり虐めたりするのはナンセンスなのです。ひとは、それぞれ特徴を持っています。その特徴は、ある環境下では強みになったり弱みになることもあります。そういう場合は、社会として、それぞれの強みを活かし、弱みをカバーし合うことで、より良い世界が生まれるのだと思います。