またもや、幼い子供の命が失われました。3歳の女の子が幼稚園の送迎バスに置き去りにされ、熱中症で発見されて間もなく亡くなりました。昨年夏にも5歳の男の子が同じ状況で亡くなったのはまだ記憶に新しいと思います。その事故以来、二度とこのような悲劇を起こさないように、保育所、幼稚園での幼子の送迎バスでの置き去りに対し、厳重な注意喚起が徹底されていたと言われていたのですが、何故にこんなことが繰り返されたのでしょうか。
先日、石川県で2歳の男の子が行方不明になり、昨日海で発見された件もそうですが、幼い子供は非常に弱い生き物です。親や周りの庇護が無ければ、その命は簡単に奪われてしまうものです。だからその命に関わる危険性については、全面的に排除する努力が必要なのです。以前、人間、取返しのつく失敗は恐れずにチャレンジすることは必要だと言ったことがありますが、それはあくまで取返しのつくものに限ります。命を落としたり、同等の被害が起きることには細心の注意を払うことが必要なのです。ましてや、幼子の場合は、死に至るような危険性は身近に多数広がっています。幼稚園の職員の方達は命を預かっていると心して仕事をされている方が大半だと思いますが、今回のケースのように指導的な立場にある園長がこのような致命的な不注意をされるとは誰を信じていけばいいのかと考えさせられる問題です。
子供の成長の為には、少しくらい怪我をしてもいろいろなことを体験させるのがいいと思いますが、それは決して不注意ではなく、リスクを承知した上での教育なのです。保護者の手の平の中にあるから、いろいろなことを体験させられるのです。監視下にあるのと、放置するのとは全く違うのです。
今回の送迎バスへの置き去りはミスが何重も重なっています。バスを降りるとき、園長は全員降りたかどうか確認していない、付き添いの派遣職員も同様に確認していない。始業時にこの子がいないことを担当の先生も疑問に思っていなかった。また、園長はお迎えのときに乗車した筈のこの子が授業に出ていないことに気付いていない、と何度もこの子を救えるタイミングがあったのにすべてスルーされていることです。いつも言っていますように、人間はミスする生き物です。だからこそ、ひとりの人がミスをしても、それをカバーするような仕組みを作っておかなければなりません。フェイルセーフと言われる仕組みが必要なのです。しかし、そのような仕組みも魂を入れなければ形骸化してしまいます。私が最も感じましたのは、この園の関係者が幼い命を預かっていると言う強い意識が欠けていたように思えました。それがあれば、バスのドアを閉める前に、隅々を点検することを忘れる筈はないと思えるからです。例えば、新幹線が車庫に入る前は16両もある車両の全部を確認して回ります。これに比べて、15人乗りのマイクロバスの隅々を確認することはそんなに難しいことでしょうか。うっかりで済まされるようなミスではないのです。
朝に我が子を送迎バスに乗せ見送ったであろう、そして無言の姿で帰宅した娘と対面した親御さんの気持ちを思うと、心が締め付けられます。命を預かるとは、自分が決定的なミスをしたらこのような事態を招くということをしっかり自覚し、行動につなげるということなのです。