三歳の幼稚園児が送迎バスに取り残されて死亡した事件の幼稚園の理事長兼園長、副園長の記者会見が昨日ありました。この事件の原因は四点あったこと、そして、それについての事情が説明されました。原稿を読みながら、ほとんど前を向くことも少なく、言い訳がましい内容で、また、園長の謝罪も思いが伝わらないような平坦な物言いに、この人達は、事の重大さを本当に分かっているのか、疑問に思う印象でした。「園長が園に到着し児童を降ろした後にどうして車内を確認しなかったのか」と言う質問に、送迎バスを運転することに慣れていなかったからと答えていましたが、例え臨時的に交代したからと言って、幼子の命を預かっていると言う責任の重みが変わることはありませんので、この場合は、自身の怠慢から確認しなかったというのが真実ではないでしょうか。けっして臨時であろうが、慣れていないのであろうが、命を守る重みは変わることはありません。この受け応えでは、そのことを理解されていないと思わざるを得ません。慣れていないからこそ、やるべきことを慎重にやらなければならなかった筈です。適当に、嫌々やっつけ仕事を片付けるようなことではありません。通常の運転手は、園児を降ろした後、車内を確認し、座席なども消毒していたと言う事です。何故に園長が、そのようなプロセスを守れなかったのでしょうか。自分は理事長兼園長と言う一番偉い地位のものだから、適当にやっても誰にも批判されないと驕っていたのではないのでしょうか。
このような人達が幹部である園であるからこそ、今回の事件が起こったのだと思います。昨年夏の同様の事故があって、その後、園児の閉じ込めがないように、対策を強化することを指導されていたと思うのですが、それがこのような状態であったのですから、相当に罪は重いと思います。園長が辞任しますと言う事で済まされる問題ではありません。ましてや、園の存続もわからない状況を認識していないと回りにたしなめられて、笑顔で誤魔化した園長の姿を見ては遺族、保護者の方達のお気持ちはいかばかりでしょうか。
亡くなった命は、どんなに謝罪しても取り戻せないのです。と言う事は、命を預かる仕事では、関わるひとすべてが、どんなことがあろうともこのような悲劇を起こさないという強い意志をもって真剣に取り組むしかないのです。
最後に、保護者の立場になって考えてみました。今回のような事件を見ますと、幼稚園、保育園に預けるということは、自分の幼子の命を園に任せるということなのです。しかし、このようないい加減な経営者、幹部のいる園があるのであれば、どうしたらいいのでしょうか。自衛手段として、もし閉じ込められたら、クラクションを鳴らし続けることを我が子に徹底的に教えるくらいしか浮かびませんでした。それも実際にバスに乗って実践練習してみないといざとなったときに役に立つかどうか分かりませんが。それでも、手をこまねいているよりいいと思います。我が子の命に関わることですから。