新型コロナウィルスの蔓延で、我々人類にとっていろいろなことが浮き彫りにされて来ました。特に、選挙の度に、社会の為、人民の為と声高に叫んでいた政治家が、このような危機状態に対して力を発揮できない、本当に困った人達の助けにならないことが良くわかりました。政治家も役人も、我々の税金を効果的に活用するという点では、知恵も能力も無い人達が多数であるということがはっきりしました。結局、私も含め多くのひとは自分さえ良ければというのが根本であるということが、こう言うときだからはっきりしたのでしょう。その点は、当たり前と言えばそうなのでしょうが、政府や役所、政治家や役人は、その使命として、このような危機的状況のときくらい、滅私奉公してもらいたいというかすかな希望は持ちたかったというのも、多くのひとの思いではないでしょうか。本来は、民衆のために滅私奉公できるひとが、この国の重要なポジションに就いているべきですが、今の選挙を始めとする社会シテスムでは、そのような人達をピックアップできるようになっていないのです。今の政治、官僚シテスムは、明治時代にその基礎が築かれたと思いますが、その当時は、命懸けでそれまでの体制を倒し、日本を欧米の植民地化などのリスクに立ち向かおうという思いの人達が多数輩出され、自ずと日本国の為という滅私奉公をしたひとが表舞台に立つことになった訳です。但し、人民の豊かな暮らしは、国力を高めるということに直結していて、結局は、人民個々の幸せと言うものに考えが及んでいなかったように思います。それで、人民を犠牲にする戦争、産業政策へとつながって言ったということです。昭和になって戦争に負け、多くの犠牲の上に、民主主義が導入されたのですが、そのときに導入された社会システムは、復興という場面では機能したのですが、ある程度豊かな社会になって来た段階では、いろいろな欠落が明らかになって来たと思うのです。その段階で、富を獲得していた、また富を得ることに関した既得権益を持った一部の人達が、この社会システムの脆弱な部分を利用して、自分達の富と権益を守って来た訳です。その結果、今の日本は、一部の富裕層と一部の準富裕層と多くの普通層、多くの貧困層という構成になってしまいました。政治家は、そのような現実に対し、未だに手をこまねいているばかりです。
出来るだけ多くの人が幸せな人生をおくることができることを目的とすれば、その答えは明確だと思っています。
人の幸せは、ある程度の富と安心な生活が保障され、且つ、大切なひと、もしくは大切な事柄が存在することです。決して多大な富や権力を獲得することではないことを知ることが重要です。
ある程度の富とは、現在の世界に存在する富を分配することで可能だと考えています。しかし、現実は、世界の大部分の富を数%の人達が保有しています。また、今の教育は、子供達に幸せとは何かを教えるものにはなっていません。権力に都合の良い人材を選別する教育があるだけです。
このプログを開設しようと思った理由は、多くのひとは幸せになることを良く理解していないのではと感じていること、また、様々な問題は富の偏在に起因すると思えること、そして、人間に対する理解を画一的にするのも無理があるし、また複雑にし過ぎることも、物事の解決にはつながらないこと、などを自分なりに整理してみたいと言うことに駆られたからです。特に、人間に対しては、歴史的に、性善説、性悪説など諸説論じられて来たと思いますが、自分自身の経験から、大部分の人間は、自己を守ることが一番ですが、出来たら悪いことはしたくないという弱い存在だということ、しかし、全員がそういうタイプではなく、極一部は自身を犠牲にしても、ひと(他人)の為に動くことができるひとが存在し、併せて、自分自身の欲望を達成するためには、ひと (他人) を犠牲にすることを平気で出来るひとも極一部存在するということが判って来ました。政治、経済なども、この三タイプがどのようにからみあい、動いていくかで、社会の現象が定まっていくことを考えなければ、的を射た施策を出すことは出来ないと思い、そのことをまとめてみたいと思いました。