このブログでは、ひとと比較せず、ひとの目を過剰には気にせずに自分の幸せを追求することが大切だと言って来ました。且つ、自分の幸せを認めてもらう為には、他人の幸せも尊重することが必要だと訴えて来ました。それでも、人間は色々な性格を持っています。しかも千差万別な考え方を持っています。あれこれ考え過ぎてしまうのは誰にもあることですが、その対象の捉え方によっては、幸せを感じやすいひとと、その逆のひとが存在しています。人間長く生きていますと、後悔することはよくあることです。その後悔を教訓として、今後の処し方に活かして行くことは悪いことではありませんが、過去の事にとらわれ過ぎるのは問題です。過ぎ去った過去は、もう取返しがつきませんので、単に悔やんで、悩んでもどうしようもないのです。つまり、過去にとらわれるか、そうでないかで、幸せを感じることに大差がついてしまいます。いくら悩んでも過去は変えられないのですから、そんなことに心痛めるのは百害あって一利なしではないでしょうか。そのように心をコントロールできるひとは幸せを感じやすいひとだと思います。逆に過去から心が離れられないひとは、なかなか心に安らぎを与えることが出来ません。過去にとらわれあれこれ悩むのなら、未来をどうしようかと悩んだ方が意味があるのです。確かに性格的に、ポジティブなひと、ネガティブなひとがいると思いますが、もし自分がネガティブシンキングをし易い人間だと認識されるのであれば、思い切って過去のしがらみを捨て去ることをお勧めします。
自分自身も過去のことを後悔することもありますが、そのような思考に傾いて来たら、視線を将来の方に移すように無理やり頭を切り替えます。例えば、仕事で大きな失敗をしたとします。その失敗により、上司に叱られたり、成績が落ちたり、ひいては周りの人達からこいつは駄目だと思われるとか、嫌なことを考え出しますときりがありません。そのとき、やってしまったことは仕方ないと割り切り、それに対するペナルティは潔く受けよう、上司の期待を裏切ったり、周りの評価が下がろうと、所詮自分自身の起こしたことだと腹を決めることにします。とりあえず、失敗を後悔したり、胡麻化したりすることに労力をかけるより、下がるところまで下がって、また這い上がることに意識を移そうと考えます。失敗を分析し、どこが敗因だったか、そうであれば、今後はどうすべきかと言うことに頭を振り絞ります。以前にお伝えしましたように、ひとの命に関わるような致命的な失敗は極力避けることに注力しないといけませんが、そうでない限り、失敗も将来の糧として考えるといいのです。
この瞬間にも過去のことに心を痛めておられる方は、是非、頭の中を未来のことでいっぱいにして、後悔を感じる隙間を無くしてみてください。