多くの人達が幸せに暮らす社会のイメージを考えてみたいと思います。まずは、戦争や暴力が無い社会が第一です。その為に、多くの人達が、人間的な生活を維持することが必要です。富を奪い合うのではなく、富を分かち合うことです。歴史的に、一部の特権階級の人達が、その権力、富を維持するために、大衆を生かさず殺さず働かせ、そこから搾取し、それを維持できなくなったら、戦争により、他国から搾取する、また大衆を生活維持のためだと先導して、戦争に駆り出すのです。また、自国の中でも、生活が苦しくなったら、別の先導者が既存体制転覆の戦いを起こしたりもします。いずれにせよ、大衆が飢えていることを大義名分に戦争は起こるのです。しかし、本当は、特権階級の富を大衆に分け与えれば、飢えることは避けられます。特権階級がこれまでの法外な贅沢な生活を維持しようとするから、そのために大衆は飢えることになってしまうのです。もちろん、大衆に単純に平等に富を配分し、何もしないで、生活を保障されるということになると、進歩が無くなり、真面目に仕事をしようという意識がなくなり、それが引いては本当の社会全体の飢えにつながると思いますので、ある程度の競争、配分される富の大小は必要だと思います。重要なのは、配分される富の大小の程度です。現在のような、一握りの富裕層が、地球の富の大部分を握っているということは論外です。イメージとして、日本のサラリーマンのような、経験、成果、役職などによって年収に差がつく程度、つまり、数倍の差がつくくらいでしょうか。いずれにせよ、自分の特徴に合った職業につける権利があり、どんな職業であっても、そこで努力をしたひとには、ある程度の生活が保障されるということ、最低努力しているひとには、幸せになれる最低の富が保障されるということが守られなければなりません。現在の世界を見渡しても、世界の富の大部分は、一握りの超富裕層が保有しています。その周辺に、超富裕層に取り入り、ある程度裕福な取り巻きが存在し、彼らが、この体制を維持する仕組みを作って、運用しています。代表的な超富裕層は、石油産出国の王族とか、超大企業の創業者とかですが、彼らは、人間が数人で庶民何万人以上が生活できるような富を浪費しています。世界中を見渡せば、餓死者が多数出ている現状を知ってはいても。結局、この構図は、昔からそう変わっていないのです。それを維持できているひとつのポイントは、人は自分さえ、もしくは、自分の周りのものさえ良ければいいという狭い個人主義を前提に生きてきたからです。我々が真に目指すべきは、少しでも多くのひとが、きちんとした教育を受け、その中で、自身の特徴を見出し、それに適した職業に就き、それで最大限、社会に貢献し、そのことで、ある程度裕福に生活でき、困難が起これば、助け合いつつ暮らす社会を作ることです。