千葉県松戸市の小学一年生の少女が行方不明となり、その後の捜査で、キックスケーター、靴、靴下、帽子が相次ぎ発見されていましたが、遺留品の発見された所より十数km離れた旧江戸川で水死体が発見され、DNA検査で、当該の少女であったことが確認されました。引き続き、事故、事件の両面で捜査を続けて行くそうです。
幼い少女が、何故、公園に大事なキックスケーターを放置したのか、何故、靴、靴下を脱ぎ、数十mを裸足で河川敷の土手を超えて川に近づいたのか、どうして川に入ったのか、など謎が多く、単なる事故であると片付けられないと思います。ましてや、ご家族の思いは、この謎を明らかにしたいと言う思いは非常に強いだろうと思われます。
三年前に山梨のキャンプ場で、当時小学一年生の少女が行方不明になり、今年、遺骨が発見され、DNA鑑定で確認されたことが思い出されます。いずれも、やっと小学校に入学し、これからどのように成長して行くのだろうと期待の膨らむ時期だったという事でご家族の無念も計り知れないものであると推察されます。自分の子や孫に重ね合わせて、心を痛めておられる方も多くおられることでしょう。
以前ブログでも取り上げました送迎バスに閉じ込められて命を無くした幼児もそうですが、幼い命は、これからまだまだ成長していくと言う生命の輝きを持っていますが、反面、非常に壊れやすく脆いものです。その為に、家族や先生や社会などいろいろな力に支えられて生きていくしかありません。なんとかこのような悲劇が起きないことを願っていますが、様々な魔の手が出て来て、対処するにしても、モグラ叩きのようになっています。
もちろん、親の責任が最大ですが、それだけではカバー出来ない面を社会全体で守って行くのだと思います。昭和時代前半までは、町や村の規模も小さく、町全体で家族ぐるみの付き合いのような村社会があり、多くの目が幼子を照らして、危険回避などが為されていたと思います。反面、それらの付き合いが煩わしく、住み辛さがあったのも事実です。それに比べ、現在の社会は、核家族化され、また単身家庭も多くなり、近所付き合いも希薄になって来ています。もちろん煩わしさが減り、プライベートの保持もやり易くなって、良い面もありますが、子供を町全体で守るということが出来にくくなっているのも間違いないと思います。
それらの時代のいい所取りをする為には、科学の力をもっと利用するしかないのではないでしょうか。人間の目の代わりに、機械の目、つまりカメラとそれで映し出される情報の監視、処理、対応を進めるということが考えられます。問題は、プライバシーの制限と必要な費用をどうするのかと言うことだと思います。それ以外の様々な事件、事故に対する安全・防犯という側面からも、私は公道、公共地でのプライバシーはある程度犠牲にするしかないのではと思います。反面、私有地内ではプライバシーを尊重することだと思います。お金の問題は、軍事費を削減しそれを活用するとか、大企業、富裕層の税金を増やすことでその一部を充てるということだと思います。